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「北海道・豆トークショー2011」が、主催ホクレン農業協同組合連合会、
社団法人 北海道豆類価格安定基金協会、後援農林水産省北海道農政事務所、北海道、
北海道農業協同組合、北海道穀物商協同組合で10月22日に全日空ホテルで開催されました。
トークは道立総合研究機構中央農業試験場・研究参事で、「食のエッセイスト」 加藤淳農学博士。
 司会はHBC「カーナビラジオ 午後一番!」のパーソナリティ 山根あゆみさんで、
会場は約200名の聴講者で賑わいました。


北海道の「豆」と言えば「大豆」と「小豆」ですね。
乾燥豆での製品が多く、大豆の「早生」が「枝豆」でビールのおつまみによく食べられますが、
小豆の「生豆」は見たことがないですね。

だけど面白いですね。「大きい(・・・)豆(・)」で「大豆(だいず)」になり、
「小さい(・・・)豆(・)」で「小豆(あずき)」なんですね。
「大小豆(だいすき)」なんて出来ると面白いと思うのですが・・・。(スイマセン!)

米と共に大豆は味噌、醤油、豆腐、納豆などに加工され、日本の「食」の「基」を作り上げてきました。
小豆は「餡(あん)」に加工され、日本のお菓子において、様々な「甘味」を作り上げてきました。
またその赤い色合いから、「赤飯」など日本の食における「ハレ(・・)」を担ってきました。
それはこれからも変わる事のない、日本の食習慣であり続けるでしょう。(そう願います!)

小豆というと、子供の頃に母が作ってくれた「お汁粉」ですね。
小豆を「炊く」には、茹でこぼして「渋抜き」をしなければなりません。
しかし、この「渋味」こそが、小豆の複雑で豊かな味わいを作り出しています。
渋味の奥にある「おいしさ」を感じとり、食に適するように加工する工夫を探り出した、
先人たちの知恵にはただ頭が下るばかりです。

1晩水に浸けてから炊きますが、水でもどさずに茹でこぼしても炊けます。
何度か試してみましたが、やはり水で戻して炊いた方が、小豆の割れも少なく、
煮上がりも早く食感も良いようです。

甘味付けには上白糖を使うことが多いようですが、「氷砂糖と和三盆糖」を使うと、
甘さにキレ(・・)とコク(・・)が出て食べ飽きないですね。
お汁粉は日本の食を築いて来た、小豆と米(白玉粉)の組み合わせで、
色は「小豆の赤」と「白玉の白」で、紅白の祝いを表しています。
お祝いの席では、小豆の「赤飯」で、葬祭には黒豆の「黒飯」になります。
このように豆は、古くから日本の行事にも深く関わってかました。
小豆の粒々にツルンとした白玉粉の食感は「ジャパニーズスイーツ」が至った、ひとつの頂点を極めていますね。

それと母手作りの「牡丹餅(ぼたもち)(おはぎ)」ですね。
餡子(あんこ)の甘さに、もち米の「モッチリ」した食感が、たまらなくおいしかったな。
この牡丹餅のおいしさは、「温もり」にありますね。
温もりのない、冷えた牡丹餅のまずさといったら、「味の裏切り」に遭ったようで、怒りすら感じます。

小豆を炊くことは、ある種の儀式めいた精神的なものに通じていて、
ただ安易に豆を煮るといった気持ちでは、それは単なる「煮豆」である。
そこに精神的な気持ちを込めると、神仏に奉ずる「福豆」になりうる。
そうあってほしいと思うのだが・・・。

おせち料理の「黒豆」は「今年もまめ(豆)に暮らせますように」と言う願いが込められ。
節分には、「魔を滅ぼす」で「魔滅(まめ)」と字を当て、「鬼は外、福は内」と、
炒った大豆をまいて「厄払い」をします。
自分の歳の数だけ豆を食べ健康を祈願します。
また、旧暦の9月13日には「豆名月(まめめいげつ)」と呼び、豆を月に奉じて農作物の収穫を感謝しました。
現在は旧暦の一月遅れの10月13日が「豆の日」になっています。
こうして日本に古くから伝わってきた風習も、近年はすっかり廃れてしまい、何もかもが、
科学だコンピュータだと、デジタル化してしまいました。
そういう私も、この原稿をパソコンのワードで綴っております・・・実に便利なものです。


小豆を炊くと、そのおいしさが待ちどうしくなり、「早く炊けないかな!」とワクワクした気持ちになりますね。
小豆は、日本人にとって特別なおいしさを感じる豆ではないでしょうか。
このように豆は、日本の食卓になくてはならないものになりました。
大豆がなぜこれほどまでに根付くことになったのか?
それは飛鳥時代に伝来した仏教が深く関わっています。
大豆が日本で栽培されるようになったのは鎌倉時代からで、その頃には仏教も広く布教しており、
それと共に「肉食が禁忌」されていたために、必要な栄養源であるたんぱく質摂取のために、
大豆が多様に加工され、日本の食に取り入れられて来たのです。
米と豆は日本の歴史と共に歩んできたのですね。



ではトークショーでの、加藤先生の大変興味深い豆のお話しを報告しましょう。

「北海道の大豆」
マメ科の植物は世界中で1万8千種があり、小さいものは牛の餌になるような、
牧草の「アルファルファ」のようなものから、大きなものは木のように1m程の莢になるものもある。
なかでも食用にされているのは約70種あります。
日本で食用にされている豆は図①のようになります。

※図①豆類の分類
野菜に含まれる栄養成分というと、まず思いつくものは「ビタミンC」ですね。
枝豆やサヤインゲンなど緑色のものには含まれているが、乾燥豆には残っていません。

中でも大豆の顕著な成分は「ビタミンB1」で、多いと言われる「豚バラ肉で100g中に0.54g」ですが、
「大豆には0.83g」含まれており、役割としてはエネルギーを作り出すことに役立っている。
人体は糖分を燃やしてエネルギーにしているが、1gの糖分から4calのエネルギーが生成され、
それを吸収するために必要なのがビタミンB1である。
特に「脳」は体重の約2%程度だが、糖だけをエネルギーとしているために、全体のほぼ20%を消費している。
脳を使うことはエネルギーを大変消費するため、脳のエネルギーとなるブドウ糖を燃焼させ、
エネルギーに変えるために必要なのがビタミンB1 である。
ジャンクフードのような、ビタミンB1含有量の少ない食事ばかりを摂っていると、
満腹になってもエネルギーが脳にまわらずに、イライラしたり、熟考できなくなるなど、
「キレやすい」性格になる。

エネルギーを摂ると共にビタミンB1も一緒に摂ることを勧める。
脳にもネルギーを充分に与えて、働かせるためにはビタミンB1含有量の多い大豆を摂ると良い。

又、「ビタミンB2」も多く含まれ、脂質の代謝に役だち、
「ビタミンB6」は肌、爪、髪の毛などの新陳代謝に役立つ、共に美容に必要なビタミンである。

次に多い成分は「食物繊維」です。食物繊維と言うとすぐに、「ゴボウ」が思い浮かびます。
ゴボウには100g中5.7gの食物繊維が含まれております。
しかし、小豆には17,8g、インゲンでは19.3g、大豆には17.1gも含まれており、ゴボウの約3倍の含有率です。現在食物繊維は1日に成人約18gの摂取が必要とされているが、現状は平均14g程度しか摂取されていない。
50年前には雑穀や豆類、野菜、海藻などの食事が中心だったので、25gも摂取されていたのだ。
しかし、食生活の欧米化によって、食物繊維の摂取が大きく減り、脂質の摂取が増えてしまった。

食物繊維には「水溶性」と「不溶性」の二種類があり、水溶性は海藻類の寒天などに含まれている。
大豆に含まれている食物繊維は90%が不溶性である。
食物繊維と言うと、「便秘予防、解消」が真っ先に思い浮かぶ。
日本人には弛緩(しかん)性の便秘症が多く、これは腸の蠕動(ぜんどう)運動がにぶり、
内容物が押し出されなくなり、大腸に便が留まってしまうためだ。
大腸は水分を吸収するする性質があるために、留まった便の水分が吸収され、
固くなり体積も小さくなるために余計に便として出づらくなってしまう。
大豆などの不溶性食物繊維は、スポンジのように水を抱き込む性質があるため、
腸に届くと固くなった便が水分を含み柔らかくなり、さらに体積も10数倍に膨張するために、
腸管を刺激して弱った腸の蠕動運動を促進させるために、弛緩性の便秘が解消されやすくなる。
さらに腹中の悪い部質も抱き込んで掃除してくれるので、大腸癌の予防にもなる。

大豆の栄養成分では、「タンパク質」の含有量が大変優れている。
100g中に35gも含まれており、「畑のお肉」と言われる所以である。
大豆のタンパク質は消化され、アミノ酸に変換されて小腸で吸収され、細胞へ届き体のタンパク質になる。
しかし、体で合成されるタンパク質と、食物として摂らなければならないタンパク質がある。
この食物で摂らなければならないタンパク質を「必須(ひっす)アミノ酸」という。


※図②
図②は、米と大豆のアミノ酸値を比較したものです。
注目していただきたいのは、最も少ない「リジン」です。
栄養素としてリジンの必要量を100とした場合、米ですと61しかありませんが、
大豆には必要量が含まれています。
アミノ酸は体内に入ると、すべて吸収されるわけではなく、最も少ないアミノ酸の量に引っ張られて、
それ以上は吸収されないのです。
この図で言うと、棒グラフを立てて並べ桶を作ります。
それに水を注入したら61のリジンまでしか溜まりません。
それと同じで、精白米ですと体内に吸収されたアミノ酸も、最小量のアミノ酸までしか吸収されないのです。
普段からの食事で大豆製品を一緒に摂ると、アミノ酸がバランスの良く摂取できるのです。
日本では古くから、ご飯と共に味噌汁、醤油、納豆、豆腐など「大豆製品」を一緒に摂ってきました。
しかし、最近は食事も欧米化し、この大豆製品の摂取量が減り危惧されている。
大豆には必須アミノ酸がバランス良く含まれています。ぜひ普段の食生活に取り入れましょう。


図③イソフラボン登熟期間と気温の関係
最近は大豆と言うと「イソフラボン」が話題になります。
大豆の品種によってイソフラボン含有量の違いはありますが、現在日本で最も含有量が多いのは、
「ゆきぴりか」という品種です。
このイソフラボンは、大豆が成熟する「登(とう)熟(じゅく)期間」の平均気温が低いほど含有量が高くなります。では低ければいいのかというと、登熟期間に気温が10℃以下になると「未熟豆」で、成熟しにくくなる。
低温にあたると大豆の「ヘソ」の部分が茶色に変色するので見た目で分かりますが、
品質に変わりはありません。
北海道の気温は、イソフラボンや糖質含有量の多い、おいしい大豆が育つ条件に大変恵まれているが、
その分タンパク質の量は低くなる。
豆腐を作るにはタンパク質の量が多いほうが向いているので、北海道の大豆は豆腐にはなりにくい面があります。しかし豆乳濃度をあげて作ると、食べておいしい豆腐ができます。
味と加工面では相反するところもあります。そのようなことから、北海道の大豆は煮豆に向いています。

大豆のイソフラボンは、ポリフェノールの一種で抗酸化作用があります。
このイソフラボンは女性ホルモンの「エストロゲン」に構造がよく似ており、
女性ホルモンの減少による更年期障害の緩和、骨粗鬆症の予防にもなる。
またエストロゲンが過剰に分泌されることによる、乳癌や子宮癌などの発症を抑制する効果もある。
女性の美容、健康維持に大変優れた栄養素を含んでいる。
しかし、日本では大豆を食べられる量が年々減少傾向にあり、イソフラボンの摂取量は8割の人が必要量に達していない。
北海道の大豆のようにイソフラボン含有量の高いものを摂ることが効率的である。

また、注目されているのが「サポニン」です。
大豆を茹でたときにでる「泡」の成分です。
中性脂肪の蓄積を防ぎ、癌や動脈硬化、過酸化脂質の生成を抑えます。
多くの病気が活性酸素によって引き起こされるとみられ、それを抑制する大豆サポニンの働きに期待が寄せられています。
また、ミネラルのカルシウム、リン、マグネシウム、鉄分なども多く含まれ、
特に大豆の加工製品である、味噌、豆腐、納豆などはイソフラボンをグルコシガーゼという酵素が吸収しやすい、ポリェフノールに変えているので優れた食品です。


「北海道の小豆」
小豆のお話はトークショーでもされていましたが、加藤淳先生の著書「小豆でぐんぐん健康になる本」から、
掲載させていただきましょう。

小豆の原産地は中国西南部からインドシナ、ミャンマー、ブータンに至るヒマラヤ南麓の照葉樹林地帯とする説がもっとも有力です。
日本へ渡来したのは大変古く、弥生時代の遺跡、山口県の天王遺跡、静岡県の登呂遺跡から小豆が遺物として発見されています。
この時発見された小豆が栽培によるものなのか、交易によってもたされたものかは、はっきりとしていません。
小豆の名が文献に始めて登場するのは「古事記」や「日本書紀」です。
穀物起源神話に、「オオケツヒメ」の鼻から小豆が生まれた話はよく知られています。
少なくとも3世紀にはわが国に伝わったようです。
このように小豆は伝来当初から神話がかった存在でした。
それは伝わる以前の中国の風習に元づいています。
小豆の赤い色が魔よけなどの呪術的(じゅじゅつてき)な力が信じられ、
赤い色は太陽の色、火の色、よって生命を鼓舞し悪霊を退治すると昔の人は考えたのです。
厄除けの意味から小豆を使った料理が作られ、祝い事の席で供されるようになったのです。
このような風習は、中国江南地域に始まり、朝鮮半島を経てわが国に伝えられたとされます。
当時の宮中の年中行事に取り入れられ、儀礼を記した書物には、小正月に当たる1月15日に小豆粥をたべる行事があったことが記されている。

小豆は厄除けや料理、菓子に使われる他、昔は薬としても使われていました。
江戸時代に白米を食べるために、「江戸病(えどわずらい)」と言う脚気が流行りました。
脚気はビタミンB1の欠乏によって起こるため、小豆を食べて予防しようとしました。
昔の人は栄養について知るすべもないのに、現代からみても、大変理にかなった知恵には驚かされます。
また「産後(さんご)の肥立ち(ひだ)」が悪い女性には小豆粥を食べさせていました。
お産の時にできた出来た血栓が体内をめぐって、心臓や脳でつまらないように、血液をサラサラにする効果のある小豆を食べたのです。
小豆粥や小豆の煮汁は二日酔いにも効果があります、一度ためしてみるといいでしょう。

小豆の煮汁は吐剤としても利用されていました。
冷蔵庫のない時代は、特に鮮魚などは早く傷みます。
それによって起こる食中毒も多く、その時のために煮汁を利用していたことは十分に考えられます。
赤飯も食あたりを避けるために添えられたと見ることができます。
赤飯は祝い事の席に供されましたが、ご馳走の魚、貝類、鳥や獣の肉などによる食中毒を防ぐ意味から、
小豆の入った赤飯が添えられるようになったのです。
小豆の名は「あ」は赤色、「つき」「ずき」は溶けるという意味で、赤くて早く柔らかくなることから「あずき」になったようです。
小豆の取引は、粒の大きさが基準になります。
百粒重が10・0~14,0グラムのものを小粒種、14.1~17.0グラムのものを中粒種、17.1グラム以上を大粒種とします。
流通時は小粒種と中粒種をあわせて普通小豆とされています。
小豆の中でも特に大きなものを「大納言」と呼びますが、北海道では「アカネダイナゴン」「ほくと大納言」「とよみ大納言」が作られています。
普通小豆は大納言よりも小さく主に粒あんなどのあんに加工されます。
これらの小豆はほとんどが北海道でつくられていて、「エリモショウズ」「サホロショウズ」「きたのおとめ」「しゅまり」などがあります。
北海道の小豆といえば、十勝地方ですが、豆栽培が本格化したのは明治30年頃からです。
生産量が急増したのは第二次世界大戦後からで、それまで流通していた満州からの輸入小豆が入ってこなくなったために、一躍、十勝地方の小豆が重要な供給地となったのです。
小豆の名だたる産地となり、全国的に圧倒的な収穫量を誇っています。
2000年には道内収穫量7万5800tのうち十勝は3万8100tと、約半分を占めています。
上川の11%、網走の8%、空知、後志のそれぞれ7%となっています。
小豆は、低温に弱く、冷夏の年は収穫量が落ち込み市場価格が高騰するのに対し、
豊作の年は収穫量が過剰になり暴落することがあります。
このようなことから、小豆は輪作を行います。小豆は同じ畑で作り続けると病害虫などの連作障害を起こすため、
1年ごとに小豆、馬鈴薯、小麦、ビートなどように、作物の植え付けを変えていくのです。
作物は種類によって吸収する栄養分の種類や量などが異なります。
その性質をうまく活かした農法によって土壌が良好に保たれ、「良質の小豆」がつくられるのです。
十勝の主力品種は「エリモショウズ」と「きたおとめ」です。
豆王国十勝を代表する品種です。病害抵抗性を持ち、安定多収で良品質の小豆です。
小豆には「早生~中生の夏小豆」と「晩生の小豆」があり、十勝地方の小豆は夏小豆に属します。
小豆は大変デリケートな作物で、種子を播き、それと同時に約5センチ離れた位置に肥料を施し、
2から3センチの土をかぶせて適切な圧力を与えます。
この距離と圧力を間違えると小豆はうまく育ちません。
十勝地方の小豆は長年の品集改良を重ね、現在最高の品質まで育て上げたものです。
赤飯は小豆が柔らかくなるまで煮てから、その煮汁に3時間ほどもち米を浸してから、小豆を合わせて蒸します。
小豆にはポリフノール、鉄分、ビタミンB郡、葉酸、サポニン、カリウムといった成分が含まれており、
煮汁にはこれらの栄養が豊富に含まれているので、もち米を小豆の煮汁に浸すのは栄養学的に見ても
大変理にかなって優れています。
煮汁によってこのように栄養価がアップする赤飯ですが、もち米と小豆の組み合わせも、
米は必須アミノ酸のリジンが欠けており、小豆にはこの成分が豊富なのです。
小豆と組み合わせることによって互いが補い合い、タンパク質を十分摂取できるのです。
また赤飯の上にかけられるゴマのセサミンの有効成分が、多くの病気の元凶とされている
活性酸素を除去し悪玉コレステロールを減少する働きがあり、赤飯にゴマをかけることで
赤飯の栄養価がさらに高まります。

小豆の色は色彩色差計で測定し、明度、赤味度、黄味度で測ります。
明度は0~100まで変化し、数値が大きいほど明るく、明度と黄味度は-60~60まで変化し
数値が大きいほど赤または黄色の色調が強くなります。
彩度は赤味度と黄味度を元に計算され、数値が大きいほど鮮やかな色調になります。
生あんの色は原料の種皮色に比べ明度は高く赤味度や黄味度は低下します。
種皮の色や明度はあんの色にまで反映するわけです。
豆に限らず食品の色は人の心に影響を与えます。
鮮やかで美しい色であれば食が進みますし、その反対であればあまり食欲がわいてきません。
おいしい、おいしくないといった味をも左右します。
そのくらい食品の色は口に入れる上で重要なポイントとなります。

東洋医学では食品の色が体に及ぼす作用を「五食の理論」として明確に示しています。
五色とは、赤、青、黄、白、黒を指し、赤は心臓、青は肝臓、黄は膵臓、白は肺臓、黒は腎臓に働くとしています。
それぞれの色が各臓器の機能を高め、活性化させるというのが、東洋医学の考えです。
小豆は赤色に属します。ですから小豆は心臓に効くことになります。
実際、小豆は漢方薬では心臓のむくみをとるものとして昔から使用されてきました。
小豆30gとヤマゴボウの根5gを合わせ、水3合を加えてとろ火で煎じ、半分になるまで煮詰めます。
それを1日3回飲めば効果があるとしています。


加藤先生の「小豆でぐんぐん健康になる本」は、この他にも起源から、歴史、栄養と効能から、
餡の舌ざわりを科学的に分析したり、大変興味深い豆の話が満載の料理人必読の著書です。
是非この本で北海道の豆知識を学んで下さい。


トークショー終了後に会場を移して、豆料理の試食会が行われました。

~豆料理試食会メニュー~
大豆の和風ジュレonシメサンマ
大福豆の洋風浅漬けwith野付産秋鮭のマリネ
道産豆と秋野菜のキッシュ
大正金時と大豆の和風クリームスープ
道産豆とキノコのスパニッシュオムレツ
大豆、虎豆とチキンのカーナバルバターソテー
光黒大豆のオペラ(ケーキ)
小豆入りフランスパン
小豆のぜんざい
直火焙煎黒豆茶

豆を使ってこれだけの料理を作り上げるのは、大変なご苦労だったでしょう。
全日空ホテル レストラン植西重明料理長の料理説明後に試食が始まりました。
会場に詰め掛けた大勢のお客様が「ワーッ!」と料理のテーブルを2重3重に取り囲み、
出遅れた僕は料理を取ることができません。
「料理がなくなってしまうのでは・・・」と心配していたら、
「料理は人数分ご用意してございます!」と、会場内にアナウンスされ安心しました。
会場のお客様からも「おいしい・・・」と声が上がり、北海道の豆の試食会は大成功の内に終了しました。
でも豆を食べると「腹持ちが良い」ので満腹になりました。
機会に、僕も毎日大豆と小豆を食べるようになりました。
料理を工夫して毎日の食事に豆を取り入れましょう。

加藤淳先生ありがとうございました。司会の山根あゆみさんお疲れ様でした。
「豆をいっぱい食べて元気で暮らそう。来年も良い年をお迎え下さい!」
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唐突ですがみなさんは「辛~いのスキ!?」

ビストロポワルの早貸シェフに青唐辛子を貰った。
「辛くないですから!」と言うので、さっそく炒めて食べたら「大当たり」。

辛いのなんのって、どうにも我慢が出来なくなって、氷を1個口の中で転がしながら、辛さを和らげたが、まだ辛い。
もう1個もう1個で、結局5個も氷で冷却方法を試みたがまだ辛い。
遂には普段は味わう事のない、飴まで嘗めてどうにか辛さが治まった。
余りの辛さに、「辛くない!」と言った早貸シェフを訴えようと思ったほどだ。「辛くない訴訟」だ。



唐辛子の辛味成分は皆さんもご存知の「カプサイシン(capsaicin)」で、唐辛子の属名「カプシカムcapsicum」から命名され、ギリシャ語由来の「カプサcapsa(袋)」からきている。
唐辛子やピーマンの中が空洞で袋状になっているからだ。
因みに英語のcapsule(カプセル)も、このcapsaが語源なのだ。

カプサイシンは植物が作り出す化学物質で、カプサイシンが多く含まれているものほど辛くなる。
このカプサイシンの辛さこそが世界中に広がる元になるんだね。

唐辛子を食べてすぐには辛さを感じない。
この辛さを感じる舌の受容体は表面ではなく中心部分に近いところにあるからで、しばらくして辛さを感じるのはこのためだ。


しかしだ、この辛いのもが、ナゼ世界中にひろがっていったのか?
人が最初に食べたのは野生の唐辛子だろう。
「ヒョイ!」と摘んで口に入れたら「辛~い!」となって、以後「食べないべ!」となる。
それは人に限らず動物も同じで、が、ここにカプサイシンの辛味を感じない驚異の生物がいる。
それが鳥類である。
鳥類はカプサイシンを感じる受容体が違うために、辛味を感じないのだ。
例えばカプサイシンの辛味成分が○だとしたら、人や動物は○を受け入れる受容体を持っているのに対し、
鳥類は△なので受容体がはまらずに辛さを感じないのである。
鳥類は唐辛子の種を潰さずに食べるのだ。
さらに消化器官も短いため、種は消化されずに、そのまま糞と共に排泄されて、あちらこちらに撒き散らしてくれるのだ。


しかし他の動物は食べると種が咀嚼され潰れ、また消化器官も長いために種も消化されてしまうためだ。
唐辛子は種保存のために、鳥類だけに食べてもらうように、カプサイシンを作り出したのである。
原産地は中南米といわれ、唐辛子と鳥類達との「連帯と相克」によりアメリカ大陸に広がっていったのだね。



この植物と動物の「連帯と相克」相利的関係の不思議さを伝える話がある。
(と言うよりは人間の愚かさだね!)
モウリシャス島に自生している「カルバリア・メジャー」という樹木は、現存する最も若い木で樹齢300年である。
それ以来若い木は1本も生えていないのだ。
300年もの間に木が1本も生えないとは、一体どういう事だと思うべ!


モウリシャス島には300年前「ドードー」と呼ばれたアヒルに似た鳥がいて、
カルバリア・メジャーの木の実が唯一の食物だった。
ドードーが採食した種を糞と共に排出して、始めて発芽可能な状態になるのだ。
ところがだ300年前に、人間がドードーをすべて食ってしまい絶滅してしまったのだ。
必然的にドードーによって木の種は蒔かれず、発芽もせず、以来1本の木も生っていないのだ。

動物と植物の関係は只単にその種族だけにとどまらない命の連鎖があるんだね。
「イチバン悪いのは人間だ。イチバンヒドイ奴は人間だ!」と動植物の悲痛な叫びが響いてきます。



話を戻しましょうか!
唐辛子が世界中に広がったのは、この人「クリストファー・コロンブス」の登場である。
15世紀に欧州各国は、コショウやナツメグなどのスパイスを求めインド、東南アジアへ航海を始めた。
それまでは東回りのアフリカの喜望峰を通って東南アジアへ航海していた。
コロンブスは逆の西回り大西洋を航海して東南アジアを目指したのだ。


しかし到着したのは「新大陸」アメリカで、そこで発見されたのが唐辛子である。
コロンブスはそれをコショウだと間違えてスペインに持ち帰る。
唐辛子がレッドペッパー(RED PEPPER)と呼ばれるのはそのためである。
1493年、唐辛子が世界史に初めて登場します。
それから唐辛子はコロンブスの西回りとは逆の東回りでヨーロッパからアジアへと世界中に広まったのだ。
コロンブスの発見から100年余りで日本に伝来している。

しかし当時の唐辛子の辛さは「美味しくない辛さ」だったのである。
人の手により多くの品種改良を経て、現在の「美味しい辛さ」の唐辛子に改良された。
その品種改良は現在も行われている。


だけど、辛いのを食べて「もう絶対食べないぞ!」とはならないよね。
まあその時は、チョットは思うだろうけど、しばらく経つと憎き辛さを忘れたかのように、懲りずに食べているんだよね。
バンジージャンプとかジェットコースターとか怖いのにチャレンジするような、スリルを求める「危険な要素」も辛さにはあるね。

辛いは味ではなく「熱い、痛い」などの、痛み刺激だそうである。
辛いものを食べて、「口から火が出ている!」というよね。スゲー辛いのは「激痛」に感じる。 
辛いものを食べると、その痛みを和らげようと脳内から「β―エンドルフィン」という物質が分泌されるそうだ。
それが快感となり、辛いという刺激が段々と好ましい刺激に変わり、より辛いものを求め「クセ」になると考えられている。

唐辛子を食べるとカプサイシンの作用で「体温上昇、発汗、脂肪燃焼」などの作用があり、
アドレナリンが上昇し代謝促進などの効果もあるそうだ。
そういえば、辛いものの食後は「サッパリ感」があるね。



ところで、辛さの単位をご存知か?「スコビル」が辛さの単位である。
世界一辛いといわれた唐辛子「ハバネロは57万7千スコビル」である。
これは57万7千倍の砂糖水でうすめたら、辛さを感じなくなったという計測単位である。


‘11年には「インフィニティ・チリの117万6千182スコビル」。
次いで「ナーガ・ヴァイパーの138万2千118スコビル」が新記録である。
が、さらにスゲー辛さがやってきた。

オーストラリア モリセットで「アレックスとマーセルのデ・ウイット兄弟」が作り出した
「トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラー」だ。
ややこしい名前の通り、怖ろしい辛さで、なんと「146万スコビル」だ。
見た目は小型の赤ピーマンである。
園芸学者のマーク・ピーコックの協力を得て、特別な栽培方法で、その辛さを作り出している。

苗をつよい日差しから避けるために周りをユーカリの木で囲み、土にシートを被せ温度を保つ。
そうして企業秘密の「ワームジュース」を1週間に1度あたえる。
ワームジュースとはミミズが野菜クズなどから作り出す肥料で、紅茶のような色合の液体である。

ピーコックは「唐辛子は出来るだけ辛くなりたいと思っている。
苗を健康にして、多くの栄養分を吸収させるとカプサイシンが増える」と栽培法を力説する。

その唐辛子を使ってトマトピュレ状のソースを作っているのだが、作業中はガスマスクに防御服に手袋の完全装備である。
直接肌に触れると「強い痛み」を感じるとか。そんなの食ったどうなるんだよ!!
その唐辛子とソースを使い、煮込み料理を作っているのだが、見ているだけで「辛そ~っ!」。
辛い唐辛子を作り出すには、選ばれたな土地、特別な栽培方法など、手間のかかる作業である。
デ・ウイット弟は「唐辛子の苗に話しかけなければならない、必要なのは苗への情熱だ!」と熱弁を奮う。
デ・ウイット兄弟の唐辛子作りを見ていて、始めは滑稽にも思えたが、その辛さにかける一途な思いには心打たれるものがあった。
そんなデ・ウイット兄弟の熱い思いを持ってするなら、「情熱のスコビル」を作り出すであろう。ガンバレヨ!!



辛いものを食べるとストレス発散にも効果的とか。でも食べ過ぎると味覚障害になるかも?
友人は辛いものに「ハマリ」食べ過ぎて腸内に腫れ物が発症し、入院手術の羽目になった。
「過ぎたるは及ばざるが如し」唐辛子のような香辛料は使い方を誤ると、ヒドイ結果になるので要注意だ。
辛(から)いは、辛(つら)いとも読むからねぇ・・・


「とうがらし はねをつけたら あかとんぼ」 松尾芭蕉
今年の夏も暑かったですね。保健所からは、毎日のように「食中毒警報」が発令されました。


一昔前だと、食中毒を起こす菌は「黄色ブドウ球菌」「サルモネラ菌」「ボツリヌス菌」などだったが、
最近は「ウイルス性」の食中毒が増えていますね。
毒キノコによる食中毒も毎年起きています。


「食中毒」という言葉ですが、「飲食物に含まれている、毒に中(あた)る」という意味である。
飲食に携わるものとして、食中毒には最も気をつけなければなりません。


飲食店に限らず、家庭でも注意が必要だ。
家庭で食中毒に要注意なのがカレーです。
2日目のカレーはおいしいと、作ったカレーを鍋のまま室温に置いて、翌日温めなおして食べますね。
「カレーだから大丈夫だ」の油断が危険だね。
北海道の冬場など気温が低い時期なら室温でも大丈夫だろうが、チョット気温の高いときには注意したい。


この2日目のカレーに多い菌が「ウエルシュ菌」である。
この菌が起こす症状は、下痢と腹痛だが比較的軽く、1日以内で回復する特徴がある。
「なんか体調が悪かったのかな?」とか「水飲み過ぎたかな?」と気付かない程度だ。


この菌は「嫌気性」酸素がキライなのである。
カレーは深めの鍋で「グツグツ」煮込んで作るが、煮込むと同時に酸素も抜けてゆく。
ウエルシュ菌は増殖する温度が比較的高く、40~50℃が最も増殖しやすい温度なのだ。
それで残ったカレーを室温に放置すると増殖条件が揃い大繁殖してしまう。


ウエルシュ菌は人参やジャガ芋などの根菜類、肉などに付いている。
この段階では菌は増殖しない。のだが、成長の過程で「芽胞(がほう)」という、ある種の休眠状態になるの。
この芽胞の状態になるとマズイのだ。


カレーの煮込む過程で、通常のウエルシュ菌は死んでしまうが、芽胞の状態だと熱に強い状態になっていて死なないのだ。
しかしだ、残ったカレーをそのまま放置しておくと、3~4時間経つと「芽胞」が目覚めてしまう。
するとウエルシュ菌に戻り、この状態で好条件の温度40~50℃になると大繁殖し、夏などは6時間以上経つと危険状態である。
カレーの中はウエルシュ菌主催の「リオのカーニバル」状態である。
「さあ、食べよう!」と匂いを嗅いでも、腐った気配はない。
「よし!」で温めなおすが、この段階で菌はある程度死ぬのだが。
大繁殖しているので食中毒を起こすのに、足りる数の菌が残ってしまうのだ。
それを食べると食中毒になる可能性大である。


カレーが残ったら、すぐに冷やして冷蔵庫に入れましょう。
温めなおすときは、かき混ぜながら、じっくり加熱するのが食中毒の予防策である。



鶏肉も鶏刺しやタタキ、ユッケ、鶏ワサなどで生食メニューが増えましたね。
この鶏肉やレバ刺しに多い食中毒菌が「カンピロバクター」だ。
鶏肉は豚肉や牛肉に比べて安価で、低カロリーのため健康志向やダイエット食になどと、食べられる機会が多い。


暑い8~9月が,カンピロバクターの食中毒が増える時期である。
食中毒を起こす、最も多い原因菌で年間平均500件近く起きている。
なぜこのカンピロバクターの食中毒が多いかというと「感染力の強さ」にある。


ブドウ球菌は1千万個近くで食中毒を引き起こすが、カンピロバクターは100個の菌で食中毒を引き起こすのだよ。
生食のほかに、不十分な過熱、二次汚染が原因だ。
二次汚染は鶏肉を切った包丁やまな板、手などの洗浄が不十分で、サラダや漬物など過熱しない料理に菌が付着して食中毒の原因となるから要注意である。
この食中毒の症状はかなりヒドイのだ。
40度近い高熱、下痢、腹痛、倦怠感、頭痛などだ。
下痢がヒドイ時には、脱水症状を引き起こし、ご老人や子供が死亡することもあるので要注意だ。


しかしだ、下痢治まった後に、2~3週間後に手足のシビレが出る事がある。
これは「合併症」の前兆で、そのままにしておくと、「四肢の筋力低下」「呼吸困難」「運動麻痺」などの合併症を引き起こす事もある。



食中毒の原因菌は細菌とウイルスによって起こる。
細菌はサルモネラ菌、黄色ブドウ球菌、腸炎ビブリオ菌、カンピロバクター菌などで、ウイルスはノロウイルスだ。
どちらも食中毒になると下痢や腹痛などの症状は同じだが、発生する時期がことなる。
細菌は高温多湿になると増殖する。温度が37℃になると活動が活発になるから注意だ。


細菌とは逆にノロウイルスは、低温で乾燥する冬の時期に活動が活発になる。
では、体内で細菌が増えると何が起きてどうなるのか?
普段は食べ物が内臓で消化され、腸内で栄養や水分が吸収され、血管に入り体内に巡ってゆく。


腸内に細菌が入ると増殖し、その細菌を成敗しようと白血球が菌と戦う。
すると腸壁が腫れて働きが狂ってしまう。吸収された栄養や水分が腸内に逆流して戻ってしまうのだ。
という事は、腸内の水分が多くなり「下痢」の症状になるわけだよ。


しかしだ諸君!この下痢の症状は腸内に増えた悪い菌を下痢によって体外に出そうとする、人間が体を守るための防衛反応、自然治癒力なのだ。
だから食中毒で「下痢止め薬」を服用すると、下痢の症状は治まるが、さらに腸内で菌が増えてしまう結果になるから、後でもっとひどい症状が出てしまうのだ。


吐き気は腸内の以上を察知した脳が「吐け」と、指令を出すことによって起こる。
嘔吐によっても細菌を体外に出す体の反応である。
しかし、汚物には細菌が含まれているので要注意だ。
だけど、同じものを食っているのに食中毒になる人と、ならない人がいるよね。あれは、人によって体や腸の抵抗力の違いだそうである。
個人の持つ白血球が細菌と戦う強さなのである。
下痢や嘔吐で治まると良いのだが、前記のように死に至らしめる食中毒もある。
大腸菌とはその名の通り、人間の大腸にいる菌で消化を手伝い、体に必要なビタミンを作ってくれるいい奴なのだ。


しかしだ諸君!人間と同じように中には悪い奴もいるんだよ。
人に下痢を起こさせたりするのが、「病原性大腸菌」なのだ。



さらに深刻なダメージを与える奴もいる、それが「腸管出血性大腸菌」だ。
最近よく効くようになった「0(オー)-111」や「0(オー)-157」である。
「0(オー)」とは大腸菌をいくつか分類した中の1種類で、「111」は111番目に発見されたものだ。
「157」は157番目に見つかったものだ。
現在は「0」の分類では180種類まで見つかっているのだ。
焼肉チェーン店でユッケなどの生肉を食べて、集団食中毒が起きて死者も出ましたね。
原因は「0―111」である。


ところで「腸管出血性大腸菌」は人の体にはいない大腸菌なのだ。
ではどこにいるのだ?牛や羊の腸の中にいるのだ。
その状態だと、なんら悪さはしないのだ。
が、それが何らかの原因によって人の腸の中に入ると、とんでもない悪さをするのだ。
今回の焼肉チェーン店での食中毒の原因は、牛や羊の腸に触れた包丁やまな板などで、他の肉を触った可能性があるのだ。


ではその「0-111」や「0-157」の腸管出血性大腸菌が、人の体内に入るとどうなるのか?
菌が大腸に入ると腸壁にくっつく、すぐに「ベロ毒素」に変身するのだよ。
ベロ毒素は赤痢菌にも含まれている毒素だ。菌は腸壁について始めて、悪さをするのだ。
すると腸が腫れ変調を来たし、食中毒の症状である腹痛や下痢が起きるのだ。
さらにベロ毒素は腸の壁からも出血を引き起こすのだ。
下痢に続き血便が出た場合は、腸管出血性大腸菌に感染した疑いがあるという事だ。


しかしだ諸君!ベロ毒素が本当にコワイのは、ここからだよ。
出血した腸壁から血管に入り込むのだ。そうして体中の巡り、ベロ毒素が腎臓にくっついたら大変だ。
この状態が「溶血性尿毒症症候群」というのだ。
ベロ毒素の作用で、腎臓が機能しなくなり、血液中に老廃物が溜まってしまう症状を引き起こすのだ。
これが原因となり、死に至る事もあるから要注意だ。


「0-111」「0-157」などの、細菌に対する抗生物質は発見されているが、ベロ毒素に対する薬は今のところ無いのだ。



では、ベロ毒素になる前に薬を飲めば良いのか、というとこれが困りものだ。
菌が増えてしまってから、抗生物質を飲むことで菌が破壊され、逆にベロ毒素がたくさん出てしまい、症状が悪化してしまうこともある。
処置としては、菌を便と一緒に出してしまう、人工透析で老廃物の処理をするしかないのである。
最悪の場合は 手の施しようがない状態になる。子供や高齢の方は早めに病院で治療してもらったほうが良い。


普段から、調理器具の清潔、手洗いウガイが大切なのだ。
地球規模の環境変化で気温も上昇している。
「未知の細菌が覚醒」して、今以上にヒドイ症状の食中毒が起きる可能性もある。


食中毒防止の3原則
「菌をつけない」調理器具の衛生。
「菌を増やさない」食品の洗浄、保存。
冷蔵庫にすぐ収納する。10℃以下で菌の増殖が抑えられ。-15℃で菌の増殖が止まる。
「菌をやっつける」食中毒を起こす菌は約75℃で1分間加熱すると死滅する。


いつもの通りだから大丈夫と油断するな。「3つの基本予防策」をしっかりと守り、食中毒に注意しよう。
 7月14日(木)光塩学園調理製菓専門学校で
「フランス料理・製菓特別講習会」~伝統と技と味に触れて~ が行われました。  


光塩学園の姉妹提携校である、フランス国立調理専門学校シャトー・デ・クードレィから、
調理のフレデリック・パスクアル先生と、製菓のジョエル・オモ先生が講師です。

黒い白衣?のパスクアル先生と、白衣のオモ先生、フランス人のオジサン2人が並んで立つと、
昔に観たフランス映画のシーンを感じさせる哀愁が漂う。
調理は4階で、製菓は3階で講習なので、挨拶が終了するとオモ先生は3階の会場へ急いだ。


南部ユンクィアンしず子校長先生の通訳で、講習会は始まった。
いつも思うのだが、南部校長先生の流暢なフランス語には憧れるな。
料理は「EFFEUILLE DE RAIE HABIT SAUMON FUME」(エイを包んだスモークサーモン トマトとジャガイモのサラダ添え)と
「NOISETTE D‘AGNEAU A LA CREME D’AIL DOUPHINOISE DE CELERIS」(仔羊のソテー にんにくとクリームと根セロリのドフィノワーズ)の2品です。



エイの料理は、エイを塩湯でして冷まします。
固めのマヨネーズにエシャロット、ケッパー、シブレット、パセリのミジン切りを混ぜ、
エイの身をほぐして加える。長方形に薄切りしたスモークサーモンで巻き、2時間ほど冷蔵庫に入れ、冷やし固める。
それを2つに切り、皿に盛り付け、その上にランプフイッシュキャビアを飾り。
トマトとジャガイモのサラダを、それぞれ回りに盛り付け、アルファルファを飾ります。



仔羊の料理は、カレのノワゼットをソテーし、クリームソースと根セロリのドフィノワーズを添えた料理です。
ソースはにんにくを茹でこぼし、生クリームと牛乳で煮込み、ブレンダーで攪拌して、裏ごし煮詰める。
それを仔牛のフォンに加える。

ドフィノワーズは、型にバターを塗った硫酸紙を敷きジャガイモと根セロリのスライスを交互に重ね、
間に片栗粉を振り入れる。
生クリームを加え、塩をする。
上にバターを塗った硫酸紙をかぶせ軽くプレスする。
湯煎にして、120℃のオーブンで1時間30分焼きます。
粗熱を取り、重しをして冷蔵庫で1晩寝かせる。重石をする事で密度が上がり、美味しさが増すそうです。

切り分けて、温めた直したドフィノワーズを、皿の中央に盛り、にんにくソースを流し仔羊のメダイヨンを盛り、にんにくのコンフィを添える。

ソースを味見しましたが、「ショッパイ」味付けでした、加えた生クリームで味がボケないために、でしょうか?
エイを巻いたスモークサーモンの切り分けたのと、ドフィノワーズの試食をしたかったが、
「味見は、していません!」と、お断りされてしまった。残念でした。
「味見」じゃなくて「試食」なんだけどなぁ・・・。
きっと素晴らしく美味しかったでしょうね!?


近年フランス料理では、マヨネーズソースやべシャメルソースなどのクラッシックなソースは敬遠されがちになり、すっかり使われる頻度が減ってしまった。
スモークサーモンも同様である。
そのマヨネーズソースとスモークサーモンを使い現代風な一皿に仕上げる技法は「さすが」です。
ドフィノワーズは、作りたての熱々がおいしいと思っていたが。
重石をして1晩寝かせると、おいしさが増すとは・・・やってみよう。


~伝統と技と味に触れて~ テーマのように、クラッシックなソースに限らず、「古い」だけで、捨て去るのではなく。
その使い方によっては、まだまだ可能性が無限に広がっている。
そんなことを感じさせてくれた講習会でした。

光塩学園の関係者皆さんには、このような貴重な講習会に参加させていただき、勉強になりました。
又会報「北の調理人」の急な取材のお願いに、ご協力いただきありがとうございました。
最後には「ピスタチオのケーキ」までご馳走になりました。

南部校長先生にフランス語習いたいなぁ・・・。
一体全体「マニー・パッキャオ」の強さは、どこから湧き出てくるものなのか?
作るのか、作ったのか、作られるのか?驚異的な強さである。

現在はプロボクシングWBOウエルター級チャンピオンだ。
口ヒゲ、アゴヒゲを生やした顔を見ると、「田舎臭い父っちゃん坊や」である。
(確かに貧困農家の出身ではあるが!)

なんといっても、パッキャオのスゴサは、本当に強い相手、強豪ボクサーと対戦するのである。
その当時に、自分よりは強いといわている、相手と対戦して「勝利」するのだ。
「噛ませ犬」的な、実力のない対戦相手を倒して名を上げよう、などと姑息な手段には及ばない。
次々と、並み居る強豪を打ち倒すファイト振りに、80年代一世を風靡したゲームをもじって、
「パックマン」と呼ばれるようになった。

パッキャオは、フィリピン国籍で '78年生まれの、現在32歳である。
身長169cmで16歳のときに、フライ級でプロデビューしている。
フライ級の体重リミットは50.8kgで、現在は8階級上のウエルター級で66.68kgだから、フライ級との体重差は15.88kgである。体重50kgの男性が70kg近くになったら、単なる「デブ」だべ!パッキャオの場合、体重は増しても体躯はそんなに変わっていないのがスゲーところだ。
プロボクシングで、これほど階級を上げて、ファイトを続けている選手は、パッキャオだけである。

長谷川穂積選手がバンタム級(53.52㎏)で5連続TKOを含む、10度の連続防衛記録を打ち立てた。
11度目の防衛戦で「フェルナンド・モンティエル」に4RKOで敗れて、その減量苦から、2階級上げてフェザー級(57.15kg)に転向した。
フェザー級でチャンピオンになったが、初防衛戦では、メキシコの挑戦者“ジョニゴン”こと、「ジョニー・ゴンザレス」に、再び悪夢の4RKO負け。
試合後のゴンザレス選手は、「(長谷川選手の)パンチ力がそんなにないので、前に出られた・・・」とコメントしていた。

階級を上げると、こういう事になるのかと、妙に納得したものだ。
バンタム級でのKOパンチも、フェザー級では、そのパンチ力が通用しなかったのだ。 
しかし、パッキャオは違うのだ。階級を上げて、スピードが鈍るとか、パンチ力が通じない、などという事が微塵もない。
よりスピードとパワーが増しているのだ。
「オスカー・デ・ラ・ホーヤ」、「アントニオ・マルガリート」戦などは、体格が自分より2周りも大きな対戦相手を、そのスピードとパワーで圧倒していく。
ラウンドが進む毎に、小さなパッキャオの方が大きく見えてくるから不思議だ。
フライ級、スーパーバンタム級、’05にはスーパーフェザー級と各階級の王座を獲得、アジア人としては初の3階級制覇を達成した・・・

・・・が、アジア人初の3階級制覇には悲話がある。
始めて憧れたボクサーは「ファイティング原田」選手だった。‘62年にフライ級、'65年にバンタム級のチャンピオンになり、アジア人初の3階級制覇を目指し、'69年にオーストラリアのフェザー級チャンピオン「ジョニー・ファメション」の王座に挑戦する。
試合は敵地シドニーで行われた。原田選手は戦前の不利予想を覆し、2R.4R,14R(当時は世界戦は15R)にダウンを奪い勝利は目前であった。
特に14Rのダウンでは、チャンピオンのファメションは失神状態だ。

「ワントゥスリー・・・」と10カウントを聞くはずであった!が、ここでとんでもない、前代見ものの事件が起きる。

レフェリーを務めていたウィリー・ペップが事もあろうに、カウントを途中で止めると、なんとダウンしたファメションを立ち上がらせ、フラフラ状態を支えて時間稼ぎをするのだ。(諸君こんなの許されるか!)
15Rは原田選手の攻撃を、ファメションが必死に逃げ切り、勝敗は判定に・・・。
が、ここでもレフェリーのペップは暴挙に出る。
判定が出る前に両者の腕を上げて「引き分け」の裁定を下す。
チャンピオンファメションの引き分け防衛である。

この試合は「英国式」の裁定で、レフェリー1人が採点し、判定を下すという規定であった。
しかもその採点スコアの結果は、事もあろうに原田選手の「判定負け」である。
この判定には、さすがに地元オーストラリアの観衆も大ブーイングだ。

しかしだ諸君!この地元贔屓の露骨な判定にも、原田選手の態度は立派だった。
不満そうな顔ひとつせず、そればかりか、試合後はファメションの健闘を称える、スポーツマン・ライクであったのだ。
逆に原田選手には、会場の観衆から惜しみない称賛の拍手が贈られたのだよ。

当時20歳だった自分は、我がボクシングアイドルの理不尽な試合結果をニュースで知り、強い憤りを感じた。
『ファイティング原田選手の、アジア人初の3階級制覇は「幻」と消えたのだ。』
と同時に、世の中の理不尽なことに対する、自分の受け止め方や、取るべき態度など、この試合からは多くの事を学ばせてもらった。

パッキャオのアジア人初の3階級制覇の以前に、我がファイティング原田選手が成し遂げていた・・・はずだったのだ。
 翌年に、両者は東京で再戦するが、ファメションが「チャンピオンの意地と誇り」を賭けて戦い14RKO勝利。
原田選手はいいところ無く敗れ去った。
この試合をテレビ観戦していたが、原田選手がダウンしロープから 転げ落ちそうになる姿を見て「もういいんだ、原田選手もういいんだよ!・・・」と涙したことを憶えている。


この思いは、'81年3月8日に具志堅用高選手が14度目の防衛戦で、ペドロ・フローレスに、12RKOされた時にも同じく感じたものだ。

さらに裏話がある。レフェリーを務めたウイリー・ペップ(米)も ‘40~50年代に活躍したプロボクサーで、’42年にはフェザー級チャンピオンになっている。
ペップが‘50年に対戦したレイ・ファメション選手は、ジョニー・ファメションの叔父である。


 ファイティング原田さんとは、'90年の6月14日中島スポーツセンターで行われた試合で会った。
当時は日本プロボクシング協会の会長で、試合を視察に見えられたのだ。
「アッ!ファイティング原田さんだ」と、駆け寄り握手を求めたが、素通りされた。
裏切られたような気持ちになり、チョットガッカリしたのを憶えている。

しかしだ諸君!ここでの私の態度は立派だった。
残念そうな顔ひとつせず、いじけることもなく、歩き去る原田会長の後姿を見送り、実にオジさんライクだったのだ!


それにしても、ボクサーの鍛え抜かれた肉体を見ると、どうにも、自分のたるんだ体が情けなや。
若い時の様に腹筋が割れた体をもう一度取り戻したいのだ。
目指すは、総合格闘技団体「UFC」 のウエルター級チャンピオン「G・S・P」こと「ジョルジュ・サン・ピエール」の肉体美だ。
UFCで8連続防衛中の、スーパーチャンピオンである。完璧なディフェンス、攻撃力の強さ、立ち技寝技共に優れたファイトスタイルは、今やウエルター級では敵なしの強さである。
G・S・Pのシャープなバディーを、始めて見た時の衝撃は忘れられないな。
「嗚呼!こんなバディーになりたーい!」と心底思ったものだ。

その強さ、理知的でハンサムな顔立ち、「男のいいとこ全部持ち」の出来過ぎだべ!とヤッカミたくなる奴だ。
リング入場の際は空手着を着用し、日の丸の「ハチマキ」〆て、左胸に「柔術」のタトゥー、大の親日家である。実際にファイトを見たい選手の1人である。

今年の4月に、G・S・Pの地元カナダで行われた防衛戦は、総合格闘技で5年間不敗の「ジェイク・シールズ」を対戦相手に迎えた。
結果はG・S・Pの判定勝ちに終わったが、実力者同士のファイトは、実に見応えのある試合だった。
しかし、最近のG・S・Pは、「タイトルを防衛する」といった戦い振りで、負けない、危険は冒さないファイトスタイルだ。
対戦相手に勇猛果敢に挑んでいった、以前のファイトを知る者としては、チット淋しい気もする。


よーし!憧れの「G・S・Pバディー」を目指し、運動不足の鈍った体を鍛え直すぞ!
運動らしい事をしたのは、20年ほど前に、司厨士協会青年部で、鹿野さんや、全日空ホテルの所司さん達と企画した「札幌支部ソフトボール大会」以来だ。
「あの頃、僕は若かった!」
まずは心肺能力アップの基本、ランニングからだ。
どこか走るのに、いいところはないかと探した。車に邪魔されず、排気ガスも無い。
赤信号でストップせず、自然溢れるところ。
真駒内公園だ!屋外競技場周辺のランニングコースを走ろう。
ソフトボール大会以来のジャージを、タンスから引っ張り出して着込む。
体型はそんなに変わっていないので、20年前でも着られたぞ。

真駒内公園の駐車場から、17段の階段を上りランニングコースに出る。
まず入念に準備体操をする。アキレス腱を切って、寝たきりになったら余計に体が鈍る。
足首や膝の関節を回すが「カクカク」と膝が笑う。アキレス腱を伸ばし入念に体をほぐす。
背を伸ばすと「ボキボキ」骨が鳴る。
5月の中旬、晴天だ!舗装されたランニングコースに「スタート」のラインが引かれている。
そこから「よーしスタートだ!」勢いよく走り出す。
まずは快調なランニングだ、「オーッ!走れる。まんず軽いもんだべ」と意気込んだ。

道路に500mの表示が、しかし、それを過ぎると急にペースダウンし始めた。
走れない、足が上がらない、前に進まない、どうしようもない!足踏み状態だ。
「そんなはずはないさ!」もっと走れるはずだ。と思っても、体は正直だ。
20年もの運動不足が、そう簡単に走れるわけがない。考えを改めた。
早く走ろうとしているのではない、体力を付けるのが目的だ。
とにかく時間はかかってもいいからなんとか走ろう。500mから先は歩き始めた。
たった500mで息が上がるとは、心肺能力がかなり低下している。そろそろと小走りで走りだす。
とにかく小走りでもいいから走ろう。
走った、とにかく走ったつもりだった。

日差しが眩しい。途中に標識があり、こう書かれている。
クイズです!『園内の植物は とってはいけません とっていいのは○○だけ』。
○○(漢字2文字)は何でしょう。(答えは次頁に)

20~30分は経ったか?もう 5~6kmは走ったべ。道路に表示が見えてきた。
「1k」「エーッ!1km?」ケイタイを取り出し時間を計った。
10:55に出発し11:17分だから、1km走るのに22分かかかっている。
「もう走れねぇ!」それから、ゴールまでは歩いた。
結局3kmのコースを1時間弱かかってしまった。「今日は初日だ。致し方あるまい!」と、自分自身を慰めた。 

さあ、次の日も走りに励んだ。準備体操後走り出した、調子よくスイスイと走り、3kmを40分程で完走できた。
しかし、後続のランナーには全てに追い抜かれた。
若い人は仕方ないにしろ、自分より年配の方達にも、軽々と追い越される。
自分が追い越したのは、散歩で歩いていた、オバさん1人だけである。(情けなや!)

ランナーはウェアも“ビシッ”とキメて走っている。
20年前のジャージを引っ張り出して着込んだ、俄かランナーとは、クヤシイけど違うなぁ。
マラソン大会が、近づく頃には、出場ランナーなのか、本格的な走りのトレーニング中の人もいる。

舗装されたコースを走っていて思い出した。
「モハメド・アリ」が徴兵を拒否し、チャンピオンの座を剥奪されたが、‘71年に3年7ヶ月振りにカンバックした。当時のチャンピオンの「ジョー・フレージャー」に挑戦した時だ。
フレージャーがランニングしているのを、テレビで見たアリは「バカな奴だ、コンクリートの上を走っている」と呟いた。
舗装された硬い道路でのランニングは、脚に負担がかかり、故障の原因となるのだ。
それを知っていたアリは、競馬場を借りて走っていたのだ。
しかし、その甲斐も無く、アリはフレージャーに判定負け。世界中のアリファンを、大いに落胆させたものだ。


その事を思い出し、舗装されたコースの脇に、獣道みたいに芝がハゲたところがある。そこを走る事にした。
ランニングを終えて、意気揚々と帰宅した。

次の日も「さぁー走るぞ!」と、張り切り走り出したが、二日間の走りで太ももが張って走れない。
脚が上がらないのだ。「ガックリ!」して歩きだした。昨日の若さ、走りは幻だったのか。
それでも、めげずに毎日毎日走りを続けた。そのうち、段々と走りに慣れてきて3kmを20分程で完走出来るようになった。

ゴール付近のベンチに、学生らしい若者が4,5人、その中に1人が駆け込んで来て「14分7秒!」と叫んだ。
スゲー記録だ。3kmを14分で走れねぇ!でも、挑戦しよう!やる気が出てきたぞ!
だが「好事魔多し」大きな障害が立ちはだかった。「白樺花粉症」である。
ここ数年はそれ程でもなかったが、今年は花粉の飛散が多いのだ。
クシャミ、鼻水、鼻詰まり、目の痒みと異物感、症状がヒドイ!
なんと、真駒内公園には白樺の木がビッシリある。花粉の付いたヒダがコース脇にいっぱい落ちている。
これだば、頼まなくても花粉症になるべ!これにはマイッタ。真駒内公園での走りは休止にした。
その間は家で「スクワット」「腕立て伏せ」などで筋肉量の低下を防ぐ。

でも走りたい、そうだ近くの白川の果樹園付近には白樺は少ない、そこで走ろう。早速白川で走り始めた。車道の脇を走るが車が通るので、走りづらい、山に木々や笹薮が茂る。毛虫もいるし…。

次の日も白川で走った。「暑い!」でも走った。
その時「アッ!」と気付いた。
そういえば、昨日の道新朝刊に「南区藤野、石山地区に熊出没」の記事を思い出した。
「エー、熊出没の真っ只中で走っているのか!」急に怖くなってきた。あの笹薮の黒い蔭は熊か?
エイリアンに追われる、シガニー・ウイーバー状態だ。
走りの速度を早め、早々に車に乗り込み、梅村果樹園で苺1パック買って帰宅した。


だって山岡荘八著「徳川家康」で、家康の生母「於(お)大(だい)の方」が「用心は先にするもの」と言ってたべ。何かあってから用心しても手遅れなんだよ。白川でのランニングは熊出没のため中止だ!
「走りたい」だけなのに、「白樺花粉」に「熊」と来たもんだ。
歩んできた人生の如く、なにか事ある毎に、障害が立ちはだかる。人生を反省したほうがいい。
だが自分ではどうしようもない、室内でのトレーニングに励み、ひたすら時期を待った。


6月の中旬、晴天だ。2週間振りに真駒内公園に出向いた。コース脇の雑草も、随分と伸びている。
「よし!走ろう」と走りだしたが1、2歩で、いつも右膝がガクっと崩れ落ちそうになる。
「オレは、男だ!」と無理して走るが、久しぶりだから走れない。
ランニング後に、帰宅したら、太ももに痛みが走る。ケツの筋肉も張って痛い、脹脛が攣る。
なんのための走りだ。

そんな時、道新朝刊に、札幌スポーツクリニック理事長 山村俊昭医師の「中高年 運動を楽しむには」が掲載されていた。
『歳をとると骨や筋肉をつなぐ腱は損傷しやすい。弱っているところに、無理をして運動すると腰痛や股関節痛、膝関節症などの、中高年に多い疾患が出てくる。準備運動、運動後の整理体操を行う。
運動後は筋肉が張って血液が滞いるので、「交換浴」がよい。
40度程のお湯と水道水で、張っている患部を交互に浸し、血液の巡りをよくすると疲れがとれる。』とある。
これを参考に、無理は止めて、交換浴もやり始めた。

3kmも無理して走るのはヤメだ!苦しくても、毎日少しずつ走り、距離を延ばそう。
苦しいといえば、輪島功一さんが、Jミドル級のチャンピオンだった時、3度目の防衛戦で、ミゲール・デ・オリベイラ(ブラジル)と対戦した。
微妙な判定で引き分けであった。
6度目の防衛戦で再び対戦するが、オリベイラは「この前の試合は、私が勝っていた。今回も云々・・・」と発言。
その言葉を耳にして輪島は「チャンピオンになることが、どんなに苦しい事か思い知らせてやる!」とリングに上がる。
見事オリベイラに15R判定勝ち。
試合後、控え室でオリベイラは男涙を落とす。
その背中には、チャンピオン輪島に追い詰められ、背負ったロープの痕が赤く残っていた。
輪島功一のファイトは、見る者の気持ちを本当に熱くさせる。心から応援したくなるボクサーなのだ。


走るのなら、走りの目標を持とう。苦しい走りの、目標は大きい方がいい。
大きければ、大きいほどいいのだ。
「チャンピオンになろう!」「60歳過ぎて、バカを言うな!」とおっしゃいますか。
でも、ジョージ・フォアマンは45歳でチャンピオンに返り咲いた。

今年の5月には、バーナード・ホプキンスが46歳でLヘビー級のチャンピオンになり、最高齢記録を更新しているのだ。
これからは、年寄りの時代になるのだ!
よし!G・S・Pのような肉体美に造り上げて、チャンピオン マニー・パックマン・パッキャオに挑戦状を送ろう。
目標は定まった。「チャンピオンへの道」は、苦しいぞ!・・・
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