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映画「暴力脱獄」

「暴力脱獄」・・・?なんともヒドイ邦題ではありませんか。
どこをどうしたら、こんな題名を付けられるのか・・・
原題は「COOL HAND LUKE」(クール・ハンド・ルーク)「いかした(・・・・)ルーク!」みたいな意味だろうか。
’67年に公開され主演はポール・ニューマン、監督はスチュアート・ローゼンバーグ。
原作はドン・ピアースの小説で刑務所に服役していた体験を元に著した。
映画化には脚本にも参加している。日本でも安部譲二さんの小説「塀の中懲りない面々」があった、
こちらは渡瀬恒彦さん主演で映画化されている。

ルーク(ポール・ニューマン)は、酔って数本のパーキングメーターを切断し、公共物損壊の罪で逮捕され
刑務所に収監される。
刑務所では所長と部下の看守達が、過酷な労働と体罰で囚人達を服従させようとする。
しかし、ルークはそんな所長や看守達に屈せず反抗する。その姿は次第に囚人仲間達の“ヒーロー”となっていく。

しかし、ルークの母が亡くなり、所長は「脱走するのでは・・・」と考えルークに懲罰小屋を命じる。
それは逆にルークの反骨心を煽ってしまい、懲罰小屋を出されたルークは、看守のスキを狙い脱走する。
しかし、すぐに捕まり刑務所に連れ戻されてしまい、罰として両足を鎖で繋がれてしまう。

再び脱走するが、又すぐに捕まってしまう。
看守達に前回以上の執拗な暴行受けたルークは、心身ともに打ちのめされる。
反抗心は消え去り、看守達に「はいボス!」と服従し諂(へつら)うルークに囚人仲間は愛想を尽かし嫌悪する。
そうして看守達を油断させたルークは、スキを狙い作業トラックを奪い、囚人仲間のドラッグと3度目の脱走をする。
夜の教会に逃げ込んだルークは神に語りかけるのだが、看守達に発見され銃弾を受ける・・・。


刑務所の所長が、新入りの囚人達に訓示をたれるのだが、優しい言い方の裏に残忍さを感じさせる。
そして看守が新入りに所内の規則を説明するのだが、このルークという男は、規則やルールに縛られるのが窮屈でしょうがない。
又そんな自分をも持て余しているのだ。
看守達は囚人達に自分達を「ボス」と呼ばせ、服を脱ぐ、汗を拭くのも水を飲むにも「ボス、何々します」と言わせてから
許可を与えるのだ。
従わない囚人にはすぐに体罰が加えられる。

囚人達の強制労働は厳しいもので、夜明けと共にトラックの荷台に載せられ刑務所を出発する。
常にライフル銃を構えた数人の看守に監視され、看守長はミラー型のサングラスを掛け一言も声を発しないのが不気味だ。
草刈や側溝堀などの作業が、日が沈むまで延々と続くのだ。
夏の炎天下での作業に、さすがのルークも初日はフラフラ、1人の囚人が耐え切れずにブッ倒れる。
日本の草刈は屈んで左手で草を束ねて、右手に持った鎌で根元を刈るべ。
この映画では、長い柄の先に板状の鎌が付いたのを持って、体の正面でそれを左右に大きく振り、
地面を掃くように草を刈るのだ。
囚人達が縦一列に並んで振り、刈るというよりは、草を吹っ飛ばす感じだ。

近くにいて当ったら「危ない!」べ。でも屈まないから腰は痛めないようだ。
草刈にもお国柄があるんだな。


強制労働中の昼飯は、ポークビーンズ(だと思う)とフォカッチャみたいなパンが一切れ。
重労働後の腹ペコ状態だから、みんな飯に食らい付く。食べなきゃ体がもたないよな。
そうそうポークビーンズにキャラメルみたい物をスプーンでかけていたけどなんだろう?
グレービーソ-スかな。

作業中に道路脇の家の前で、セクシーな若い女性が洗車を始める。
泡だらけになり、上目使いで囚人達を挑発する。水に濡れた服はボディラインがくっきり・・・
胸元やムッチリ太ももを見せ付け、ヒップを突き出す。
囚人たちは作業に身が入らず「ウオッー!」と叫び、ブロンド美女に目は釘付け。
牢名主のドラッグ(ジョ-ジ・ケネディー)は勝手に、彼女を「ルシール!」と名付けて妄想を膨らませる。
面白いシーンだが、囚人達にはチョット酷だ!
就寝前にドラッグが「ルシール、いい女だぜ!・・・」と、昼間の興奮を蒸し返し、聞いていた囚人達は、みんな悶々となる。
と、ルークが「もうやめろ。くだらん夢は皆の迷惑だ」の一言にドラッグはカチンと来る。
翌日ボクシングに託けて、ドラッグはルークをメッタ打ちにする。
体の大きいドラッグのパンチを食らって倒れる。が、倒れても倒れても立ち上がるルーク。
遠巻きに見ていた囚人達も見ていられず、1人又1人とその場を立ち去る。
さすがにドラッグも呆れ果て、バツ悪そうに宿舎へ帰るのだった。


作業を終えて帰ってくると、夕食後はテーブルに集まりポーカーに興ずる。
ルークはカードの手がスカなのに掛け金を吊り上げてゆく。
相手は根負けして下りてしまい、掛け金をゴッソリ稼ぐのだ。
ルークは「なにもないのも“いい手”(“Cool hand”)なんだ」と。
それを見ていたドラッグが「たいした奴だ!」と感心して「クール・ハンド・ルーク」と呼ぶ。


作業の休日に、ルークの母親が尋ねて来る。
ルークの弟の運転する小型トラックの荷台に設えたベッドに横たわった母の姿に、病気が重く死が近い事を悟る。
なのにタバコをやめようとはせず噎せ返る母。
笑顔で別れる親子だが、走り去る車の荷台に横たわった母は泣き崩れる。
不思議と心に残る印象的なシーンだ。
母の死をきっかけにルークは脱走を計画し実行する。
看守達は犬を使い追うのだが、ルークは川を泳ぎロープを伝って渡り、柵をジグザグに越えて犬に臭いを嗅ぎとられないように必死だ。


2回目の脱走ではコショウを撒き散らして、追って来た犬がクシャミするのが面白い。
脱走すると足首を鎖で繋がれる、2回目には鎖が2本に増やされるのだ。3回目はない、あるのは死だ!


音楽はラロ・シフリンで、日本で最も知られている映画音楽は、ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」だろう。
♪ジャーンジャジャン アチョーでおなじみだ。
暴力脱獄では「ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド」が秀逸だ。
ギターで奏でられるメロディーは、悲しげであり儚い希望を感じさせる曲である。
CTIレーベルから発売されている、ギターリスト故ウエス・モンゴメリーの「ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド」の素晴らしい演奏も、是非お聞きいただきたい。

さて今回のご馳走はポークビーンズではなくて、ゆで卵である。「ゆで卵がご馳走か?」。
だって子供の頃、ゆで卵は運動会か遠足の日にしか食べられなかった1番のご馳走だった。
ゆで卵って不思議な魅力があるね。
スコッチエッグ(懐かしいな)だって、揚げても単なる黒っぽい固まりだけど。
半分に切って白身と黄味のゆで卵が「コンニチワ!」って言うように、顔出したら一変に表情が明るくなって、
美味しそうになるべ。
これがゆで卵の魅力だな。


さて映画ではルークが「ゆで卵50ケを1時間で食べてみせる!」と言ったから、さあ大変。
「食えるわけね」「イヤ食える」で刑務所内は、看守まで巻き込んで「賭けるべ!」となる。
ドラッグが胴元兼ルークのトレーナーになり勝負がはじまる。
まるでリングに上がる試合前のボクサーのようなルークの格好に笑ってしまう。

最初は調子良く食べるのだが32ケからペースダウンしてしまう。妊婦の様に膨れ上がったハラは苦しそうだ。
それを見て「食べられない」方に、みんな全財産注ぎ込み掛け金を追加するのだ。
だがそれはルークとドラッグの策略で、掛け金が増えたのを見計らって又食べ始める。
ドラッグは卵の殻を剥いてやり、ルークの口へ次々と放り込む。
あと、9ケ8ケ・・・最後の1ケを飲み込むように食べたのは、制限時間ギリギリの1時間ジャスト。
みごとゆで卵50ケを1時間で食べ、ルークとドラッグは大儲けする。

食べ終えてグロッキーになりテーブルの上に横たわったルークの姿は、イエスが磔になった姿と同じで、
宗教的暗示のある映画だが理屈ぽくなるのでやめましょう。

このシーンは見ているだけで、ノドが詰まりそうになる。
1時間でゆで卵50ケか・・・誰かチャレンジしてみる?
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9月4日(土)5日(日)「札幌オーガニックフェスタ 2010」が札幌青年会議所(札幌JC)の
「札幌の近未来創造委員会」(東岳夫委員長)などでつくる実行委員会の主催で行われた。
札幌や岩見沢、千歳などで収穫された野菜の産直市場を開催した。
有機野菜の生産、流通を手がける札幌在住の笛木康雄さん、
「奇跡のリンゴ」自然栽培で知られる木村秋則さんと野菜ソムリエで女優の大桃美代子さんの、
食と安全をテーマにした講演も行われた。

両日共に大勢のお客様が来場し、有機野菜を買い求める姿は食に対する「安全 安心」への感心の高さを
うかがわせた。
さてオーガニック、有機農業とはなんでしょう?
簡単にいうと、科学の発達にともない農業のやり方も大きく変り、生産性向上のため効率性が重視され、
農薬や化学肥料などの化学物質が大量に使われた。
それにより、地球規模の環境汚染や破壊、健康障害などの問題が生じ始めた。
その反省に立ち農薬や化学肥料に頼らない、ひいては自然環境保護を目指すのが有機農業です。


人類が農業を始めて、いつから肥料を用いたのだろう?
人畜の糞尿や残飯、刈り取った植物などを堆肥にして土壌に施用すると、農作物の生育がよくなるのは
農作業を、日々繰り返す中で経験的に分かっていたでしょう。
日本では鎌倉時代に、すでに糞尿を肥料として田畑に撒いていた。
おかげで米が増産され、そのために関東武士は力をつけ、鎌倉幕府の開設へとつながったといわれている。
米がいかに日本の国力の元になってきたかである。


1802年ドイツの探検家フンボルトは、スペイン領の南米ペルーにある「グアノ」(海鳥の糞の堆積物)を
国へ持って帰り分析した結果、肥料成分の素晴らしい効果を発見した。
ペルーがスペインから独立した後の1840年頃から、グアノはヨーロッパに肥料として輸出され始める。
その後40年間欧米に輸出されるが、欧米の農民達は肥料として使ったグアノの効果に驚いた。
それまで使っていた家畜糞の肥効の10倍近くもあったというのだ。

1840年に「化学農業の父」ドイツの化学者ユスタフ・フォン・リービッヒは、焼いた植物の灰から、
植物を養っているのは「窒素・リン・カリウム」だと発見する。 
さらに焼いた灰の中の、リン酸の量から「リン」が植物の生育に必要な主要物質であると考えた。
これまで、土壌には肥沃でたくさんの腐植質が含まれ、その中のさまざまな物質が植物の主要な栄養源であると
信じられていた。
しかしリービッヒが植物は無機栄養素で生育する「無機栄養素説」を提唱。
これによって農業は「化学肥料」の時代へと移行してゆく。
1888年にはアメリカのフロリダでリン鉱石、チリでチッソ肥料になるチリ硝石が発見され。
その後には空中窒素工業生産が可能になり、化学肥料が大量生産されるようになる。
あれほど用いられたグアノの需要は減少してゆく。
しかし、グアノは肥料として始めて世界貿易された意義のある肥料であったといえる。

日本でも、昭和の始めにはすでに化学肥料は有機質肥料を上回る使用量になっている。
太平洋戦後には肥料工場が早くも復興され、化学肥料の使用効果は戦後日本の食糧不足の解決に大いに役立った。

僕の生まれ故郷、砂川市豊沼にも、三井東圧の肥料工場があった。
昭和20年代の事で、多くの人達が肥料工場に勤務していた。豊沼の町全体が肥料工場に働く人達と、
その家族の社宅だった。
朝には工場に出勤する大勢の人達が、自転車に乗り先を争うように道路を走っていた。
おじいちゃんおばあちゃんがいて、お父さんお母さん、お兄さんお姉さんがいて、
元気な子供達に赤ちゃんがいた。
みんな快活で、明るい笑顔と活気にあふれる、古き佳き時代だった。
社宅の前庭と裏庭には、どの家にも畑があり野菜や果物を栽培していた。
ナス・キュウリ・トマト・ナシ・ブドウ・グスベリなどが実っていた。
食べると野菜は美味しかったけど、ナシはガリガリでかたく、ブドウもグスベリも酸っぱかったな。


殺虫剤の「DDT」はDichloro-diphenyl-trichloroetane(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の略で、
1874年にドイツの化学者が始めて合成に成功した。
以来長期間放置されていた化合物であったのだが。

1939年にスイスのパウル・ミューラー氏がその殺虫効果を発見し、5年後にはアメリカで大量生産されている。
第2次世界大戦中に熱帯戦線で米軍を悩ませていた、伝染病を媒体するマラリア蚊や、
シラミの駆除目的に用いた。
その効果はバツグンで、これによってDDTは化学薬品会社に大いなる「戦時利益」をもたらした。

DDTがこれほどまでに普及し使用されたのは、安価で大量生産が出来て、少量で多くの害虫に即効性があり、
残効性に優れているからだ。人や家畜にも「無害」で(と思われた)、夢のような殺虫剤であった。
戦後のニュース映像で、米軍兵が日本の子供達に「有無!」を言わさず、
頭から真っ白になるほどDDTの粉末を浴びせていた。
その結果戦争で町が破壊され衛生状態の悪くなった敗戦国日本は、蚊やシラミなどによるチフス、
マラリア、黄熱病などの伝染病が蔓延しなかったのは、DDTのおかげと言える。
このDDTの功績によりミューラー氏は、1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
因みにスリランカでは‘48年から’62年までDDTの定期散布を行い、
それまで250万人のマラリア患者の数を31人までに激減させたが。
DDT禁止後は5年足らずで、マラリア患者は年間250万人に逆戻りしている。
DDTの殺虫効果を証明する事にもなった。


化学肥料による人体や環境への害を最初に気付いた人たちの1人が、
「有機農法運動の創始者」イギリスのアルバート・ハワード卿だ。
1910年代、アルバート卿は英領インドの官吏(かんり)で、プサ地区統治府の大英帝国化学植物学者で、
政府提供の土地と金で植物の栽培や病虫害の観察実験を気兼ねなく自由に行う事が出来た。
30年間に及ぶインドでの観察実験によって、アルバート卿は「土壌でもっとも重要な要因は、
動物と植物の老廃物から作られた新鮮な腐植質を定期的に供給する事であり、
土壌肥沃度の維持こそが健康の根本である」ことを発見した。
「このような処理を施された作物は、その土地に蔓延しているあらゆる病虫害に抵抗力をもっており、
またこの抵抗力はそのように栽培された作物で飼育された家畜にも転嫁される」と言い。
アルバート卿は有機栽培による飼料で育てられた家畜が病気に対する抵抗力をもつことを、
自分の牛で例証してみせた。
彼の牛たちは口蹄病の流行中でさえ、近所の感染した牛と鼻をこすり合わせていても全然病気にならなかったのだ。
いかなる感染も発生しなかったのだ。
アルバート卿は「合成化学肥料を使うと植物の葉の中に不完全な蛋白質が生じ、
こうして結局は植物、動物、人間にみられる多くの病気が生じる」と言っている。
しかしアルバート卿が去ったインドでは、化学肥料の使用量は‘66年~67年の110万tから
‘78年~79年の5000万tに上昇している。


戦後に民間の農薬殺虫剤としてDDTは大普及する。
アメリカでは殺虫防虫のために農地、河川、湖とところかまわずに撒き散らされ流された。
その絶大な効果によりDDTの需要は伸び、生産量は30年間で、なんと300万tに達している。
それは、地球の表面がうっすらと白くなる程の量である。というからその使用量が分かろう。

1962年レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」が出版された。
それには、DDTなどの化学薬品による、土壌、草花、樹木や家畜、野生動物魚類そして人間への
汚染被害が著されていた。
「沈黙の春」はベストセラーとなり、その反響は大きく始めはDDTの悪影響を認めようとはしなかったアメリカ
政府は、’68年~‘70年代にかけ公害防止法案の策定を行うに至り、DDTの大量散布もよやく取りやめとなる。

日本ではDDTの使用禁止は以外と早く’69年には稲作への使用禁止、’70年には販売禁止になっている。
化学肥料、除草剤、防虫剤などの汚染された物質は土壌へと染み込み、
地下水を汚染する。雨によって川に流れ出し海を汚染する。
人の口にする水、土壌、野菜、果物、穀類、魚、食肉、卵、乳製品すべての食べ物が化学薬品の毒素に
冒されている。それらがすべての病気のもとになっている。

料理の一皿に髪の毛、虫など異物が混入していたら、お客様から大変なお叱りを受ける。
しかし、汚染された食材を使った料理は分からない。
それらは、目には見えない、無味無臭で音も出ないし触れても感じないのだ。
だが、少しずつ確実に人体に忍び込み蓄積され、病気を引き起こす。

フランスの科学者アレキシス・カレル博士は名著「人間―この未知なるもの」の中で
「土壌が人間生活全般の基礎なのであるから、私たちが近代農業経済学のやり方によって破壊させてきた土壌に
再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。
生き物はすべて土壌の肥沃度(地力)に応じて健康か不健康になる」と警告している。
また「文明が進歩すればするほど、文明は自然食から遠ざかる」とも言っている。
病気にならない予防医学は土壌から始まっている。

参考図書
「沈黙の春」レイチェル・カーソン
「土壌の神秘」ピーター・トムプキンズ/クリストファー・バード
「複合汚染」有吉佐和子
「ほんとの野菜は緑が薄い」河野秀朗
「岡田監督辞めろ!」「岡田監督更迭だ!」
FIFAワールドカップ 2010南アフリカ大会を前に行われた強化試合で、日本代表チームは
連戦連敗の不甲斐ない試合結果。
岡田監督への「国賊」な非難が渦巻いた。
マスコミやサッカーファンが口を揃えて「岡田監督辞めろ!」の大合唱である。
さすがに岡田監督、サッカー協会会長に「辞任」を問うた。
が、翌日マスコミの取材に対し「アレ(辞任)は冗談だった!」の発言に、益々非難の嵐。
まったく期待されぬまま、最初のキャンプ地スイスに旅立った。

そんな状況を表すかの様に、選手達を空港で見送った、熱心なファンはたったの50人程度だった。
しかしだ、イザ予選が始まってみると、初戦のカメルーン戦に1:0で勝利すると。
2戦目のオランダ戦には破れたが、3戦目のデンマーク戦には、見事な勝利で予選を突破し、
決勝トーナメントのベスト16へ進んだ。
次のパラグアイ戦では、PK戦の末に惜しくも破れベスト8には進めなかったが。
サムライブルーの「まさか?」の大活躍に岡田監督を「バカ、アホ間抜け!お前のかーちゃんデベソ。
ついでにお前もデベソ!」と、言いたい放題の批判していたマスコミやファンも
岡田監督の采配と選手の活躍を大絶賛。
こうなると、強化試合であれだけ負け続けたのは、本戦へ向けて「秘密の作戦」を試していたのか?
と思ってしまう程である。
それにしても、あれほどの批判を浴びても、続けた岡田監督の精神力の強さには、ほとほと感心する。
だけど、ベスト16まで進んだからいいようなもんで、1勝も出来ないで帰国したら、
いったい何を言われただろう。

それにしても、批判したマスコミ、ファンやサッカー協会関係者は勝手な事を言うね。
「じゃあ、私が監督をやります!」なんて言うアッパレな奴1人もいなかったぜ。
岡田監督に任せたんだから、最後まで「ガンバッテやって下さい!」となんで応援してやれないのだ。
世の中自分に責任の無い事は、みんな好き勝ってな事言うもんだと知らされたね。
テレビのスポーツ番組「すぽると」で、帰国し出演した岡田監督に、三宅アナウンサーが、
「色々と失礼な批判をして、申し訳ありませんでした」と謝ったら。
岡田監督は「いえいえ、応援批判あってのサッカーですから・・・」と実に真摯な対応をしたのには感心したね。
もし自分がこんな立場になったら(そんな立場になる事は無いと思うが)見習いたいと思ったな。

今回のサッカーワールドカップは日本チームの大活躍もあって盛り上がりましたね。
初ゴールの本田圭佑選手、キーパーの川島選手、パラグアイ戦でPKを外した駒野選手が印象に残りましたね。
それにしても、みんなガンバったね。でも、テレビ中継の放送の時間帯が朝方3時だから眠たいの堪えて観戦するのは辛かったね。
日本がゴール決めても、近所迷惑になるから大きな声で「バンザーイ!」も叫べないから、
「小万歳」になってしまう。
本田選手の祖父がテレビ観戦して、一緒に応援していた人達と日本の勝利を祝ってビールで乾杯していたけど。
試合が終了したのは、日本時間の朝5時位だったべ。
孫をダシにして朝から酒飲むとは、とんでもない爺さまだ。

優勝候補のブラジルやイングランド、ポルトガルにアルゼンチンも破れる波乱があり。
カカ、ルーニー、ロナウドにメッシのエースストライカーが相手チームのディフェンダーに
動きを完全に封じられた。

それにしてもアルゼンチンのマラドーナ監督の喜怒哀楽は激しいね。
試合で勝った喜び様と、負けて落胆する姿はとても同じ人には思えない程の変り様だ。
それとマラドーナ監督の、あのスーツ姿はどうもシックリこないね。
ドイツのレーウ監督はカッコいいけどね。

スペインVSオランダの決勝戦になるとは、チョット予想外だった。スペインなんか3回位優勝しているような気がしていたけれど、初優勝なんだね。
それにしてもスペインチームの男性は揃って「イケ面」だけど、みんな「濃い」ね。
木村拓哉さんや福山雅治さんなんかの爽やかさに比べると、なんかアブラっぽい濃さだ。
優勝監督のビセンテ・デルボスケ監督がこんな事を言っていた。
「チームにはかわいい選手も、そうでないのもいる。重要なのはグループとして機能させる事。
レシピも幸運もない。自分達に懸かっている」調理場の人間関係にも当てはまる言葉ですな。
スペイン国内では、決勝戦のテレビ瞬間最高視聴率は91%だよスゲーね。
スペイン国民が殆ど見ていたんだ。
見ていなかった(見られなかった)人は何をやっていたのかな?

今回もうひとつの話題は予言タコでしたね。
ドイツオーバーハウゼン水族館のタコ「パウル君」が、ドイツの試合結果を予言して総て的中させ、
世界中から注目された。
水槽に対戦する国の国旗の付いた容器(好物の貝が入れられている)を2つ並べ、
パウル君が選んだ国のチームが勝つというものだ。決勝のスペインVSオランダ戦ではスペインの勝利を予言した。
ところが、このパウル君に強力なライバルが登場する。
シンガポールのインコの「マニ君」である。
こちらは国旗の付いたカードをくちばしで選ぶ方法で準決勝進出4チームと決勝進出2チームを的中させ
「超能力インコ」と世界を驚かせた。
決勝戦の勝利国はマニ君がオランダを選んで予言した。これはパウル君に軍配が上がった。
タコのパウル君、準決勝ではスペインが「勝ち」自国ドイツの「負け」を予言。
それが見事に的中してしまったから、「さあ大変!」ドイツ国内の熱烈ファンから
「シーフードサラダか、パエリアに入れてしまえ」などと言われ。
地元ドイツでは岡田監督以上の「国賊」扱いをされてしまった。
パウル君には悪気は無いと思うのだが。

しかし、予言の通り優勝したスペインでは「英雄」扱いされて、銅像建設やファンクラブ結成の話もあるとか。
タコの寿命は長くて4年前後だそうで、パウル君は今年で2歳だから、
次回の2014年ブラジル大会での予言は出来そうも無いな。
そこで中国遼寧省大連市の生命奥秘博物館が死んだ後の永久保存を申し入れたそうだ。
パウル君の今後の成り行きはどうなるのか?

4年後のブラジル大会も楽しみだな。俺って、こんなにサッカーファンだったっけ?
※ワールドカップ外伝
噂に聞いたのだけれど、キーパーの川島選手が世界中の「ゲイ」の方々に一躍注目されているって本当なの?
相手シュートをファインセーブした時の鬼の形相での雄叫び。
ゴールを決められ地面をコブシで叩く悔しがり様。
そんなところが、ゲイの方々に好かれるのだろうか。気を付けてね川島選手・・・
「タロット」

ロッテリア・ススキノ店の客席をガラス越しに、見るとは無しに顔を向けた。
テーブルを挟んで、若い女の娘2人が中年男性の捲るタロットカードを真剣な眼差しで覗き込んでいる。
女の子達は、時折笑みを浮かべながら男性の話に聞き入っている。
傍から見ると、タロットの暗示に呪縛され己を操られている様だ。
何を占っているのだろう、将来の事、金運だろうか?若い女の娘の事だから、きっと「恋占い」だろうな。
彼女達の願い通りに、タロットカードは占ってくれるのだろうか。


「どこまで・・・」

店の営業を終え、戸締りをした。と、右手にある、非常ドアが“バタン”と、大きな音を立てて開いた。
と思ったら、長髪の若い男性が、行き成り飛び出して来て、右から左へ何かに追われているように、
必死の形相で走り去った。「何だべ!」友達とふざけ合って、鬼ごっこでもしているのか?と思った刹那。
又非常ドアが、さっきよりも大きな音で“バタン”と、開いたと思ったら、
中年のお巡りさん2人が飛び出して来た。
「コラ待て!」と叫んで、さっきの若い男性を、ハッチャキになって追い掛けている。
逃げる若者と、追うお巡りさんを右から左へ、顔を右左に2回振って見ちゃったよ。
まるで映画のワンシーンの様な「アッ!」と言う間の出来事に唖然。
あの若者は何をやらかして、お巡りさんに追われているのか。いったい、どこまで逃げるのか。
もっとましな事出来ねえか。


「どっかに行かない?」

店の営業を終え、戸締りして表通りにでた。春先の夜中12時過ぎなのに、大勢の酔客が行き交う。
週末の土曜日、ススキノはこれからが愉しいのか・・・。
駐車場へ向かう途中、コンビニのネオンに照らされて、赤い毛糸の帽子を被った、おばあさんが歩いて来た。
満面の微笑み浮かべて「コンバンワ」と言う。
あれ!俺に言っているのかな?そのおばあさん微笑みながら、又「コンバンワ」と言う。
あれ?どっかで会った人かな。
以前勤めていたホテルの、洗い場のおばちゃんだったかな?と、考えていると。
「どっかに行かない?」と言う。
怪訝そうな顔をすると、又「どっかに行かない?」と誘う。
「何処に行くのさ?」と言うと。そのおばあさんは、自分の言った言葉を忘れたかの様に。
無垢な微笑みのまま、横を素通りして行った。
呆れた気分で見送った。
「変なババア!」と、胸の内に吐き出し、もう一度振り返って見た。
赤い毛糸の帽子が、ゆらゆらと人波に浮かび、「どっかに行かない?」と云う様に揺れていた。
誘いに乗って、あのばあさんに付いて行ったら、どこへ連れて行かれたのだろう?
それにしても、怪しいばあさんだ・・・。


「ママの名言!」

ススキノにスナックと言われる店は、いったい何軒あるのだろう?
バブル期絶頂の頃は、それこそ雨後のタケノコの様に、我も我もとスナックが開店営業された。どこのスナックも、それなりにお客さんが入り「我が世の春」を謳歌していた。
それも今は夢の後の様に閉店。
入店していたビルは、空き店舗ばかりが目立つ、まるでゴーストタウンの如き有様だ。
♪まわる、まわるよ時代は廻る!中島みゆきさんの唄ではないが、時代は良くも悪しくも移り変わるのだ。

以前は、スナックではなくて「BAR」であった。
キレイなママとお姐さんを横に座らせて、カウンターの向こうでバーテンさんが、シェーカーを振って
カクテルをグラスに注ぐ。大人な雰囲気で、若い頃は憧れたものだ。
しかし、バーテンさんやお姐さん達の人件費、店の豪華な内装など経費が掛る。
そこで、ママ(もしくはマスター)と女の娘(若くてカワイイの!)で手軽に営業出来て、
お客様もポケットマネーで飲める店で、「スナック」が出現してきたのだ。

BARとかスナックには行かない。
何故ってタバコの煙がイヤなのだ。人の吐き出したタバコの煙を吸わされる事ほど、腹立たしい事は無い。
それにカラオケで酔ったオヤジの得意そうに唄うのを聞かされると「この禿げオヤジめ!」と殺意を感じる。
そんなオヤジたちが唄うのは、何故かシナトラの「マイウェイ」と谷村新司の「昴(すばる)」なんだよね。
下手なクセに、上手い振りして唄うからイヤミになる。

そんな奴がほんとに居て、そのオヤジが唄い始めると「ママお愛想!」と言って、店に居る客が全員帰るそうだ。でもそのオヤジ、自分は唄が上手いと思っているから、人に聞かせたがる、余計に始末が悪い。
唄い方がくどくて、和製ポップスも演歌調になるから「嫌味ダラケ」で聞くに耐えないらしい。
その店のママ、よく蕁麻疹(じんましん)が出るんだよ。
原因は分からないらしい・・・。

だけど、唄声を聞いていると、その人となりが伝わって来るね。
あー、この人は、相当ストレスが溜まっているなとか。
お金出しても、聞きたくなるほど、上手い人もいるね。
あるスナックのママはお客さんがカラオケを唄い終わると、必ず「ウマーイ!」と、囃すのだ。

まあ、たいして上手くない唄でも、そこは客商売だ。ヤッパリ「ウマーイ!」とおだてるのだ。
カウンター席の中年女性のお客さんが、山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」を唄った時の事。
この唄が「ヒドイ」、なにがヒドイってとにかく調子ぱずれ。
カラオケの音程が高過ぎるから声が出ない。
唄い出しの♪薄紅の・・・から、鶏が首絞められたような声だ。
♪そんな小春日和の・・・のサビなんかは「ヒィー」と声が裏返って「あんた大丈夫?」と
聞いている方が心配になって来る。
途中で止めればいいのに、そういう人に限って最後までガンバって唄うよね。迷惑だ!

しかし、別なことが気になりだした。
この下手な唄「秋桜」が終わったらママは、いつもの様に「ウマーイ!」とおだてるのか。
もしも、もしもだよ!そんな事言ったら、逆に「嫌味ダラケ」だべ。
唄が終わった。水割りのグラス片手に、ボックス席の片隅でママの一言を待って、聞き耳を立てた。
「この歌、いい曲だもんね!」なるほど、そう来たか!唄がダメなら曲を誉めろか。
長年スナックを営んできたママだ、これには畏れ入りました。
ママの名言、さすがに「ウマーイ!」
スパゲッティを、フォークでクルクルと巻いて食べるけど。
いつからか、クルクルと巻くのに、スプーンを使うようになった。
若い頃、東京から来た先輩が、「スパゲッティをスプーン使って食べた・・・」と言っていたから、
45年前には、スパゲッティ食べるのに、もうスプーンを使っていたのは確かだ。
まあ、その頃のスパゲッティは、ミートソースとナポリタンで。いいとこミ
ートボール・スパゲッティーだった。(こういうスパゲッティは、スゲー美味しいね!)
ボロネーゼやボンゴレも、当時はあったのだろうけど、聞いた事は無かった。
というか知らなかった。

その先輩の話では、「アメリカ人は不器用でフォークだけでスパゲッティ巻けないから、
スプーン使って巻いて食べる。アメリカの食習慣だ!」と言っていた。
まあ、いい加減な先輩の話だから、あんまり当てにはならんけどね。(本当なの?)
それにしたって、人類初の月面着陸の大偉業を果たし。
フロンティア・スピリッツをモットーとする、大国アメリカがだよ。
高だかスパゲッティーをフォークに巻き付けるのにスプーンを欲すとは、何事や!ま
あ、今やスパゲッティをスプーンも使って食べるのが「当たり前?」になったけど。


先日蕎麦屋で“鴨南蛮”を食べていた時の事。
後から来た、隣席の若カップルの男性が、“蕎麦カツ丼セット”を注文した。
かけ蕎麦とカツ丼のセットだ。男性は無精ヒゲをはやし、破れジーンズのこ汚い格好なのに、
連れの女の娘は小綺麗でカワイイのだ。
なんでこんな男と一緒に歩いているんだ!(ヤッカミかな?)鴨南蛮には箸と木製のオタマが付いてきた。
隣席の蕎麦カツ丼セットにも、オタマが付いていた。
「ああ、汁飲むのに、付いているんだな」と思ったのだ。
汁飲むのは、丼持って顔突っ込んで飲むのが好きなんだよな。

蕎麦は「ズズ」と音を立てて、すすって食うべ。
それが日本古来?からの、蕎麦の食べ方だ。
ところがだ、破れジーンズの、蕎麦カツ丼セットの若い男性は、蕎麦を箸でたぐると、左手に持ったオタマに
載せる。
そのオタマを口に運び、蕎麦を食べるのだ。
必然的に「ズズ」の音は立てない。その男性には、それが蕎麦の食べ方なのだろう。
隣の妻も、それを見て「あの食べ方は、変だ!」と言うから、自分だけの考え違いではない。
と思うのだが、如何なものでしょう。「蕎麦を、どう食おうと、そいつの勝手だ!」と仰いますか。
確かに、本人の勝手です。彼には、蕎麦を「ズズ」と音を立てて食べるのは「マナー違反」なのか?
蕎麦をオタマに載せて食べるのと、スパゲッティをフォークとスプーンを使って巻いて食べるのと
同じ感覚なのでしょうか。

欧米の方が日本に来て、蕎麦や、和食を食べる時は、慣れないとはいえ、箸使って食べるはずだ。
ビストロ・スマップでゲスト出演していた、キャメロン・ディアスなんか、器用に箸を使って食べていたぞ。
「AHAHAHA・・・」と笑いながら大口開けて食べていて、楽しそうな食事風景だった。
ビストロ・スマップで最も美しく食事をしていた女性は、木村佳乃さんだ。実に美しい食べ方であった。


今に蕎麦やうどんの食べ方も変り始め。若い人達がフォークとスプーンを使って、スパゲッティの様に、クルクルと蕎麦を巻いて食べるかもね。
オシャレな店で、カワイイ彼女とデートするために、フレンチやイタリアンのマナーは一般的になってきたのに・・・。
日本人なのだから蕎麦は男らしく「ズズ」と食え!(チト、言い過ぎたか?)
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