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朝起きると喉が痛い。「ん、風邪をひいたな!」と思い、
朝飯後に風邪薬を服用し、悪化しないように用心した。
熱もないし、体もだるくない。
軽い風邪で良かった、2,3日で治るだろう。と、ほっとしたのが油断だった。
その2,3日すると鼻水が出て止まらない。
1日にティシュ2箱を使う程、鼻水をかむ始末だ。
しきりに鼻水をかむせいで、鼻の下が赤くかぶれてしまった。
栗の渋皮みたいなカサブタが出来て「ガンベ」になった。
鏡を覗き込むと、ヒドイ!
「あ~色男台無しだ!」「イケ面シェフ」で売っているのに!?
「ガンベシェフ」じゃ笑い者だ。それにしても、鼻の下に何か出来ると、
鼻たれ坊主みたいで、いい大人が実に情けない顔になる。
カッコ悪いので、鼻の下のガンベが治るまで、マスクをして過ごした。
仕入に行く先々で、マスクをした顔を見るなり「風邪ですか?」と訊ねられる。
「ガンベが・・・」とも言えず、「ハイ!」と返事をすると。
今流行の「インフルエンザじゃないでしょうね?」と、まるで厄介者のような目で
見られる。 返す言葉も無く、「なんも言えねー!」と、注文の品を受け取り、
そそくさとその場を去る。


さすがに、仕事中にマスクはしていられない。
お客様に、なるべくガンベを悟られないよう、「いらっしゃいませ!」
「アリガトウございました!」だけ言って、顔を見せないようにしたのだ。
でも、たいした広い店ではないので、いくら顔を合わせないようにと言っても、
お客様には、顔を見られるべ。ガンベシェフだのと、良からぬウワサが立つと、
店の営業にも障りがでるので、早期になんとかしたいのだが。
ガンベが「ハイ、そうですか!」と簡単に治ってくれないしなぁ・・・。
それにしても、2,3日で直るはずの風邪が2週間経っても、まだ治りきらない。
鼻水はなんとか治まったが、今度は粘っ濃い鼻汁で、喉の奥で痰も絡む、
実にしつこい風邪だ。
鼻の奥で「ツーン!」と、風邪の残党が居座り続けているようだ。
寒さを感じると背中がゾクゾクとして、風邪がぶり返しそうな感じである。
そんな、時にファイターズが、リーグ優勝を賭けた大一番の試合が、
札幌ドームで開催され。風邪で具合悪いのに、行かないばいいのに、
行って治り掛けた風邪をこじらせた。
オマケにファイターズが、その試合に負けたものだから、
次の日も行かないばなんなくなった。


だけど風邪を引かない予防法は無いものかね。
子供の頃は、寒風(かんぷう)摩擦(まさつ)をやったもんだ。
それこそ、冬の寒風吹きすさぶ中で、上半身裸になり乾いたタオルで皮膚を
摩擦するのだ。なんか、風邪予防なのに、逆に風邪ひきそうだ。
今時、寒風摩擦やっている、子供見たこと無いな。
風邪予防の基本は、やっぱり「手洗い うがい」だね。
札幌ドームにも、インフルエンザ対策に消毒用の手洗いアルコールが設置されている。
ファイターズの糸井選手がヒーローインタビューで、
「好調の要因は何ですか?」と聞かれて。
「規則正しい生活です!」の、答えには笑ったけど、
風邪予防には、規則正しい生活は大切だ。


「風邪の引かない国に行きたい!」と思っていたら、あるんだね。
映画の「南極料理人」で、隊員の1人が環境に馴染めず、
ノイローゼ気味になって自室に引き篭もり。
心配して様子を見に来た別の隊員に「カゼで具合が悪い・・・」
と言い訳したら「南極は気温が低すぎて、風邪の菌も居ないから。
カゼはひかない」と言われていた。ヘーッ南極に居たら風邪ひかないんだ。
寒いから風邪ひくのじゃないんだね。南極って寒すぎて菌が居ないんだね。
因みに南極の平均気温は、氷点下マイナス54℃だそうだ。
だけど、なんぼ風邪ひかないからといって、南極には住めないな。


子供の頃、風邪ひいたら「トシ、ノド焼く(・・)よ!」と言われて、割り箸に
脱脂綿を巻き付け、ルゴール液を浸して、ノドの奥の腫れた扁桃腺に塗り付けるのだ。
あの「オエ!」の感覚は、いつやっても馴染めないね。
ノド焼くと言われたら「ヤダ!」と、逃げまくり。
「いい加減にしなさいよ!」の一言で、母の前に両膝揃えて正座し、
「アーン!」と大口開けて、ルゴール液の染みた脱脂綿が、
ノドの奥に突っ込まれて「オエ!」だよ。
終わって「ヒーヒー」言って、涙目になって。
だいたいにおいて、ルゴール液の味はなんだ?あの臭いはなんなのだ!
「良薬口に苦し」とは言うけれど、将来シェフにならんとする、
前途ある子供にだよ。
美味しいと言う味覚からは、斯くもかけ離れた、あの味、臭いは一体全体
なんなんだ!
今流行りの“塩キャラメル味ラベンダーの香り”とか、工夫出来ないものかね。


風邪ひいて学校を休んで寝ていると、母が枕元に桃とパイナップルの缶詰を
用意してくれたんだ。妹が風邪ひいて寝ている時は、学校から帰ると、
缶詰を「食べて言いか?」と聞くと、妹は優しいので「いいよ!」というのだが。
僕の時は、妹が「兄ちゃん食べていいかい?」と聞いて来ると、「ダメだ!」と、
意地悪く言ってしまったな。もっと優しくしてやれば良かったかな?
まあ、それでも妹は食べていたけどね。
それと、母がゴリゴリと、摩り卸しリンゴを作ってくれたな。
摩り卸されたリンゴの冷たさが、腫れたノドを癒すようにスルスルと通ってゆくんだ。
リンゴの皮の赤と実の白さが、混じり合ってキレイだった。
時間が経つと酸化し、茶色く変色して味が落ちる。
最近、摩り卸しリンゴ、食べてないな。と思い、さっそくゴリゴリとやって、
久し振りに食べてみた。丸齧りするリンゴとは、一味違う美味しさがある。


風邪引いて、熱出して鼻啜りながら寝ていると。気持ちが落ち込んでいるから、
どうも考える事がマイナス思考になる。
寝込んでいるのに、「よーし、明日もがんばろう!」なんて、
前向きな気持ちにはならんべ。
以前は風邪をひいて、風呂に入ったら湯冷めして、悪化するから「ダメ!」と
言われていた。
最近読んだ「体温を上げると健康になる」齋藤真嗣著では
「風邪かな?」と思ったら風呂に入りなさい。とある。
入浴して体温を上げ、免疫力を高めて、カゼのウイルスを撃退すると言うものである。 人って何度位まで熱が出るのかな。
普通の人の平熱は平均36.5度~37.1度位だべ。
38度以上になったら、熱がある事になる。
以前39度の熱が出た時は、ひどかったな。
フトンの中で丸くなって、ジッと寝ているだけで動けないのだ。
何も出来ない、何もしたくない、構わないで!そんな状態だった。
ひと口に風邪と言っても、ノドの腫れ、鼻水鼻詰まり、咳に発熱、
関節の痛みなど、色々な症状が出る。
今の風邪の症状は、熱や咳は無いけど、お腹が痛む症状が出る。
「キリキリ」と、5分おき位に差し込む様な痛みが来る。
食欲はあって、ご飯は食べられるのだけど、何か調子悪いんだよね。
我慢出来ない、痛みではないが、神経に障る痛みで、「ウーッ!」とその場に
蹲(うずくま)りたくなる。こうなると、どんなに薬服用しても、
点滴受けても効かない。あの痛みは「イヤ!」だね。


「風邪は万病の元」これから忘新年会シーズンの、繁忙期を迎えて、
風邪を引いて休んでもいられない。体に気を付けて、がんばりましょう。
「寅年」の来年もよろしく。良いお年をお迎えください。

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社会保険庁から「ねんきん定期便」が水色の封書で送られて来た。
「年金加入履歴」に「もれ」や「誤り」がないかご確認ください・・・というものだ。日を置いて、又社会保険庁から、親展の赤印が押された「重要書類 在中」のウグイス色の封書が送られてきた。
物々しい封書の構えに、ドキッとして「なんか悪い事でもしたかな?」と、
自分を疑ってしまった。
封書の中には年金請求の関係書類が同封されていた。
年金が受給出来る60歳になったのだ。


 子供の頃、60歳なんてスゲー爺様と思っていたけれど、
実際60歳になっても、自分を爺様とは思わない(思いたくない)。
60歳でも、昔に比べると、今の60歳の方が、ずっと若いべ。
だって「俺は、まだ若い!」と思っている。


でもね、自分では若いつもりでも、実際に60歳になると、
「60歳かぁ!」と、何かしら思うところがあるのよ。
“老齢”に達した自分と向き合わなければならない。確かに60歳は現実だ。


60歳になると、色々とあるんだよ。
ファイターズの札幌ドームでの試合だって、
火曜日のシルバー・ディには半額で入場出来るし。
この前ツタヤで「シェルブールの雨傘」をレンタルした時に、
ツタヤカード提出したら、受付の若くてステキなお嬢さんに、
「60歳におなりですね。旧作のレンタル料金が、すべて100円になります」
って言われたし。
映画だってシルバー割引で1,000円だぞ。
若い頃は60歳なんて、まだまだ、先の事と思っていたけれど。
イザなってみると、60年の歳月なんて、「アッ!」という間だ。


20歳代から30歳になった時は「アー30歳か!中年の仲間入りしたな」
と思ったけど。その頃は、まだ身体も元気で仕事もバリバリ出来たからね。
 しかし、この歳になると、強がっても足腰や視力が弱り、気力も衰えて来るし。
「あっちが痛い、肩がこる!」と、楽天の野村監督じゃないがボヤキたくもなる。
身体に無理もきかなくなるし、「これから何年仕事が続けられるだろう?」と
考えるのよ。
「それじゃ、年金貰って悠々自適な隠居生活でもするか!」てな、
気持ちにもなるべ。




で、その年金を幾らもらえるのか、知っている?まあ、コマイ説明は省くけど、
平成21年10月現在、厚生年金を20歳から60歳までの40年間(480ヶ月)を掛けてもらえる金額は、満額で平均792,100円である。
この金額は、ひと月ではなく年間である。
この金額を12ヶ月で割ると、ひと月66,008円で、偶数月に2ヶ月分の年金が口座に振り込まれる。
65歳になると老齢基礎年金と奥さんが65歳になるまで家族手当が支給されるから、少しは増えるけど。
これじゃ夢に見た「悠々自適」の、年金生活は「無理」と言うもんだ。


それに、男性は昭和36年4月2日以降、女性は昭和41年4月2日以降に
生まれた人達は、年金受給開始年齢が「65歳」からに引き上げられる。
40年間保険料を徴収され、受給年齢は遅くなり、受給金額は少なくなるのが、
これからの年金制度だ。
この先、年金受給年齢がさらに引き上げられて70歳からになるかもしれない。


戦後のベビーブーム「団塊の世代」が定年退職して、
大量に年金受給年齢に入ってくる。
しかし、低額で不公平、矛盾ばかりの日本の年金制度で、
安心で豊かな老後生活を送れるのだろうか。
高齢化社会を迎えて、年金を貰っても働き続けなければならない人達が
増えそうだ。
現在70歳以上の方達は、年間300万円、月25万円程の年金を受給されているので。「悠々自適」も可能であるが。
これからの、若い人達の年金受給金額は「エー!?これだけしかもらえないの」という厳しい老後を迎える事になるだろう。


そんな、国民の年金に対する「不安、不信」による、保険料の未納。
不況による企業の厚生年金保険料半額負担が経営を圧迫し、
支払い不能になる企業が続出し、保険料の収入が激減した。
今回の総選挙で自民党が惨敗し、民主党に政権が移行して、
厚生労働大臣には、Mr年金こと長妻昭氏が就任した。
厚生年金、国民年金を一本化し、年金受給額を「月額7万円は最低保証する」など、年金改革を叫んでいるが、官僚の猛反発もあり、
この状況でどうなるものか。
政治家と厚生労働省、社会保険庁役人達の無策、怠慢などで
年金制度が社会状況や経済構造の変化に対応出来ず、
崩壊寸前に追い込まれている。
それでいて、役人達は責任も取らず、問題を解決しようともせず
逃げ出すばかりだ。そのツケは、後世の国民に総て負担させるのだ。




手元に1枚の古ぼけた「厚生年金保険被保険者証」がある。
そこには『初めて資格を取得した日 昭和40年3月26日』と記されている。
45年前に中学校を卒業し、15歳で料理人を志して歩き始めた日だ。
この証書を見る度に自分の出発点を思い起こすのだ。
「人生お金じゃない!」と言うけど、人生お金がなければ困る事が多い。
病気やボケで、妻や子供に迷惑掛けたくないし。
自分の葬式出すんだって、お金が掛るからね。


全日本司厨協会北海道支部の若者達よ、60歳は「アッ!」と言う間に来るぞ。
これからの年金制度では、辛い老後になるから、今から備え怠りなくいたせよ。
ビートルズの「WE CAN WORK IT OUT」で、ジョンが歌っていたべ。
「Life is very short(人生はとても短い)」と・・・。


映画「シェルブールの雨傘」 カトリーヌ・ドヌーブ主演の、このフランス映画は
1957年の港町シェルブールを舞台に、16歳の少女ジュヌヴィエーヴと、
20歳の青年ギイの悲しい恋の物語である。
 ストーリーはシンプルで、好きな2人が結ばれないという、ありふれたものだ。が、そう簡単には言い切れない、なぜか心に残る映画である。
音楽はミシェル・ルグランで、セリフはすべて歌。郵便配達のオジさんの「ボンジュール」の挨拶から、通行人の一言までがすべて歌の、ミュージカルである。




小さな傘屋の娘ジュヌヴィエーヴと、自動車修理工のギイは会う度に、
「ガソリンスタンドを営もう・・・。子供の名前は男の子ならフランソワに、
女の子ならフランソワーズにしよう・・・」と、2人の将来の夢を語リ合う。


しかし、ジュヌヴィエーヴの母、未亡人のエムリーは、
ギイが「まだ兵役もすんでいない」と若過ぎる2人の交際に反対する。
しかし、ギイに召集令状が届き兵役へ。それは、ジュヌヴィエーヴとギイには、あまりにも辛い「別れ」の現実であった。


そして出発前夜、残り少ない時間を惜しむように、
ジュヌヴィエーヴとギイは結ばれる。
ギイは育ての母で、病弱の伯母エリーズを幼馴染のマドレーヌに託して行く。列車で発つギイを見送るジュヌヴィエーヴが、シェルブール駅に1人ポツンと
取り残される。
ミシェル・ルグランのテーマ曲がバックに流れるシーンは
映画史上最も切ないシーンである。
このシーンで、2人の「モーナムー」「ジュ・テーム」の歌が、切なく胸に
残るのだ。いつの世も、戦争は若い2人の愛を引き裂くのですね。


ギイはアルジェリア独立戦争へ・・・。
ジュヌヴィエーヴのお腹には2人の愛の結晶が育っていた。


そんな時、ジュヌヴィエーヴの母は、営む傘屋を援助してくれる、宝石商の青年カサールを自宅の夕食に招く。
娘の幸を願う母としてみれば、金持ちの宝石商に嫁がせたいのは当然だろう。カサールはジュヌヴィエーヴが妊娠している事を承知で、結婚を申し込む。
「2人の子として、育てよう」と言う。
カサールの誠実さを知り、ジュヌヴィエーヴの気持ちは揺れ動く。


月日が経つにつれ、ジュヌヴィエーヴはギイの存在が、
段々と遠いものに感じられられる。
そんな、自分自信に戸惑いながら、ジュヌヴィエーヴは宝石商カサールの、
結婚の申し出を承諾する。そしてジュヌヴィエーヴはカサールとパリへと発つ。


2年後、兵役を終えたギイはシェルブールへ戻る。
アルジェリア独立戦争で負傷した足を引きずり、ジュヌヴィエーヴの傘屋へ行くが、店には「持ち主が変わりました」の張り紙が。
アパートへ戻ると、伯母の身体はすっかり弱っていて、
マドレーヌが健気に世話をしていた。


ギイは伯母にジュヌヴィエーヴの事を尋ねると、
「ジュヌヴィエーヴがカサールと結婚した」と教えられる。


ギイは荒れる。慰める伯母のエリーズ、励ましてくれるマドレーヌであったが、ギイの気持ちは荒むばかりだ。
ギイは昔の勤め先の自動車修理工場に戻るが、荒んでしまった生活は仕事にも影響し、雇い主とケンカして工場を飛び出してしまう。
町をさまよい、ギイの足はジュヌヴィエーヴの傘屋へと向かっていた。
しかし、そこはもう、新しい店が出来ていた。
酒場で自棄酒を飲むギイは、声をかけてきた情婦と一晩過ごしてしまうのだった。
家に戻らなかった、その夜に伯母が亡くなってしまう。
葬儀の後に、出て行こうとするマドレーヌに、「残ってほしい」とギイはたのむ。マドレーヌは「荒んだ、今のギイはキライ!」と、ためらうが思い直して、
最後に承知してくれる。


伯母の財産を整理して、ガソリンスタンドを買い取り再出発するギイは、
マドレーヌに結婚を申し込むのだ。
「コワイの、あなたがまだジュヌヴィエーヴの事を忘れられないのでは・・・」と言うマドレーヌの心中を察し「ジュヌヴィエーヴの事は、もう忘れた・・・」とギイは、自分の気持ちも決する様にキッパリと言う。


4年が経ち、ギイはマドレーヌとガソリンスタンドを経営。
クリスマスの買い物にマドレーヌと息子フランソワが出かける。
と、入れ違いにジュヌヴィエーヴの車が給油に入ってくる。
シェルブール駅で別れて以来の出会いであった。「ハッ!」と見つめ合う2人。ガソリンスタンドの事務所で、ぎこちなく言葉を交わす2人。
車の中の女の子に気付くギイに「あなたに、そっくりだわ」「名前は?」
「フランソワーズよ、会う?」と言うジュヌヴィエーブに、ギイは静かに首を振る。マドレーヌが戻って来る頃だと、気付いたギイは「もう行った方がいい」と言う。事務所を出ようとした、ジュヌヴィエーブは振り返り「あなた、元気?」
「ああ、とても元気さ!」とギイ。これが2人の最後の会話だった。
車で走り去るジュヌヴィエーブと娘フランソワーズ。


そして、マドレーヌが買い物から戻る。
笑顔で駆け寄るギイは息子フランソワを抱き上げる。
車で走り去るジュヌヴィエーヴ、マドレーヌとフランソワに囲まれるギイ。
それぞれの思いを包むように、深々と降りつづく雪雪雪・・・。




いつも、思うのですが。
なんで「雨傘」が題名にあるのに、ラストシーンは雪なのだろうと?


 さて、シェルブールの雨傘に登場するご馳走は、「ガレット・デ・ロワ」である。1月6日の公現祭日に食べるパイ菓子である。


ジュヌヴィエーブの母エムリーが宝石商の青年カサールを家に招いた夕食の
デセールに出された。
ガレット・デ・ロワは、パイ生地にアーモンドクリームをサンドして、焼き上げる
シンプルなものである。が、焼き上げるには、かなりの完成度が求められる。
パイ生地とアーモンドクリームのバランスに、表面に刻まれた模様の美しさ、
濃いキツネ色の黒光りする焼色。
シンプルゆえに、一つ一つの丁重な作業の積み重ねが、出来上がりの完成度に影響する。
この映画、「シェルブールの雨傘」のストーリーもシンプルだが、キャストや演出、音楽などスタッフの丁重な作業の積み重ねにより、心に残る映画となる。


ガレト・デ・ロワというと、生地の中に忍ばせた、小さな陶器の人形のフェーブ(そら豆)である。昔は、本当のそら豆を入れていたそうである。
取り分けられた、ガレット・デ・ロワにフェーブが入っていた人は、
その日は王様に女性は王妃様になれる慣わしです。
さて、取り分けられたガレット・デ・ロワのフェーブは、
ジュヌヴィエーブに当ります。
ガレット・デ・ロワに飾られていた王冠は、ジュヌヴィエーブの頭に・・・
見とれるカサールは「聖母マリアのように美しい!」と感嘆する。
そう、ジュヌヴィエーブを演じるカトリーヌ・ドヌーブの、初々しさ可憐さは、
本当に美しかった。
いつかシェルブールへ行ったのなら。小さな傘屋を訪れ、
ガレット・デ・ロワの王冠を飾った、ジュヌヴィエーヴに会ってみたい・・・。



「スタントン」 ‘79年(昭和54年)に阪神タイガースにリロイ・スタントン選手が新入団した。
メジャー・リーガーでニューヨーク・メッツ、エンゼルス、現在イチローが活躍して
いる、シアトルマリナーズなどに在籍していた選手であった。
大変期待されてタイガースに入団したのだが。
それとは裏腹に、まったくもって打てないのだ。
その当時の、セ・リーグ新記録のシーズン136三振に、
34試合連続三振のワースト記録を更新するなど、まったくの期待はずれ。
阪神ファンやスポーツ紙から散々叩かれ、スタントンに付いたアダ名が、
なんと「打たんトン」と言う情けないものであった。


それでも、その年23本のホームランを打っているのだが、
打率が2割2分程度では
あまりにも物足りない。
そのシーズン終了後、解雇となってしまった。
江川卓投手が、プロ入り初ホームランを打たれたのが、このスタントンである。




「卵かけご飯」

昔は卵かけご飯をよく食ったな。アツーイご飯に生卵をポンと割入れ、
箸でグルッと掻き混ぜたら、上から醤油をサーッと回しかける。
醤油をかけてから、掻き混ぜると味は均一になる。のだが掻き混ぜない方が、
醤油のかかったところと、そうでないところがあり。
食べていて味に濃淡があって、楽しいのだ。
後は、ガァーとかっ込むのだ。卵かけご飯は勢いで食べなきゃね。
ワカメの味噌汁とタクアンがあれば文句なし。


子供の頃、水泳のオリンピック代表に山中選手がいた。
町内会の公民館で恒例の映画が上映され、映画のニュースでオリンピックへ向けて、練習に励む山中選手が紹介された。
 練習後の食事で、山中選手が卵かけご飯を食っていたのだ。
それも、丼飯に卵を2ケ「ポンポン!」と割入れ、ガァーとかっ込んで、
カメラに向かって「ニッコリ」と笑った。
隣に座っていた母が、それを見て「まぁー2ツもかけて!」と驚くやら
呆れるやら。
山中選手が水泳で早く泳げるのは、ご飯に卵を2ケもかけているからだと、
子供心に納得した。
なんか、これを書いていたら卵かけご飯を食べたくなってきたな。
山中選手を真似して、卵2ツかけて食してみるかな。




「おじいちゃんのオーダー」

ファミリー・レストランに家族連れで来ていた、おじいちゃんのオーダーは、
「ピラフとライス!」だった。




「デーモン小暮閣下!」

知人の店長の居酒屋にデーモン小暮閣下と聖飢魔Ⅱのメンバーが
ミサ(コンサート)の後に来店した。
店はデーモン閣下が来るというので盛り上がったそうだ。
デーモン小暮閣下は、テレビ出演やミサでは、いつも歌舞伎の隈取りのような化粧をしている。
来店した時は、隈取りを落として素顔だったので、
誰がデーモン小暮閣下なのか、分からなかったそうだ。




 「ザ・デストロイヤー」

 デストロイヤーといったら「足4の字固め」だべ。
友達とプロレスごっこで、4の字固めを掛け合ったな。


4の字固めはブレンバスターやバックドロップなどのド派手なスタンド(立ち技)
と違い、グラウンド(寝技)なので、どちらかといえば見ていて
「地味な技」である。


しかし、4の字固めは技に入るまでがスリリングである。
なんたって、掛けられたら「ジ・エンド」だ。
デストロイヤーが相手の足をとり、4の字固めの態勢に入るや、
「リングサイド」に陣取った女性客から「キャー!」と悲鳴が上がった。
4の字固めが決まると、見ている方は「こりゃもうダメだ!」となり。
次は掛けられた相手が、その苦痛にどれだけ耐えられるかに興味が移る。


4の字固めの苦痛に、最も耐えたのが、故力道山である。
デストロイヤーと力道山のWWAタイトルマッチの試合であった。
1963年(昭和38年)5月24日の、その試合は、当時のテレビ最高視聴率の64%を記録した。
 力道山の必殺「空手チョップ」は、スタンドの決め技。
デストロイヤーの「4の字固め」は、グラウンドの決め技と、
対照的な2人のファイトであった。
結果は力道山が4の字固めの苦痛に耐え、引き分けであった。
自分も中学生の頃で、テレビにかじり付いて見た1人である。
当時、デストロイヤーは「魔王」と呼ばれ、
子供心に、「コワイ」という畏敬の念を抱かせた。


 デストロイヤーは、あのフレッド・ブラッシーを破って、WWAのチャンピオンの座に付いた。覆面レスラーで初の世界チャンピオンとなった。
 ブラッシーといえば「噛み付き魔!」と呼ばれ、試合中に対戦相手の額に噛み付き、血染めにする残忍なファイトで。
当時、その試合をテレビで見ていた、おばぁちゃんが、ショック死するなど
社会問題にもなった。


我々団塊世代には、デストロイヤーと共に、忘れられないレスラーの1人。
 故ジャイアント馬場さんが、生前テレビ出演で語っていたのだが。
アメリカから帰国して、空港の税関を通った時の事である。
 すぐ後にはデストロイヤーが、税関を通っていた。
「ん、デストロイヤーは覆面をはずして、顔を見せるのかな?」と思い、
馬場さん後ろを振り向いた。
なんとデストロイヤー覆面のまま税関を通ったそうである。
デストロイヤーは日本の税関を「顔パス?」ならぬ、「覆面パス」で
通過出来るほど認知されてたんだ。
 「ジ・インテリジェンス・センセーションナル・ザ・デストロイヤー」と言う、
長い名前が、デストロイヤーの正式なリングネームである。なんのこっちゃ!?

映画「自転車泥棒」 イタリア映画の「自転車泥棒」は、公開が1948年(昭和23年)で、
61年前の白黒映画だ。
日本の公開は‘50年と、かなり古い映画である。
俺が昭和24年生まれだから、生まれる1年前の映画だ。
エッ!俺も古いのかな?


自転車泥棒の主役の親子は、俳優ではなくオーディションで選ばれた
シロウトを起用して生活感のある演出をしている。
監督はヴィットリオ・デ・シーカで、ソフィア・ローレン主演の「昨日・今日・明日」
や「ひまわり」など、日本でも公開された映画は多い。
日本と同じ、第二次世界大戦の敗戦国イタリアの終戦が‘45年の5月2日だから、
自転車泥棒は戦後間もない頃の、貧困にあえぐローマでの話である。


戦後の就職難で、失業中の主人公アントニオ・リッチが職業安定所の紹介で
役所のポスター張りの仕事に就く。
だが、その仕事には自転車が必要なのだ。
家には妻のマリアと6歳の息子ブルーノ、そして生まれたばかりの赤ちゃんがいる。
アントニオは生活苦のために、自転車を質に入れていたのだ。
自転車の件を妻に相談すると、マリアはベッドのシーツを質に入れ、
そのお金で質屋から自転車を取り戻す。


アントニオは職に就いた嬉しさに、ブルーノを自転車に乗せ、
意気揚々と初出勤する。
ブルーノを学校で降ろし、町の壁にポスターを貼る仕事を始める。
しかし仕事の最中、チョットしたスキに若い男が自転車を盗み走り出す。
アントニオは必死で後を追うのだが、犯人は自転車で人込みの中へと走り去るのだ。


自転車が無ければ仕事にならない。
警察に行くが、毎日何百台と盗まれる自転車に警察官は相手にしてくれない。
途方に暮れるアントニオは、友達のバイオッコに相談し、
「自転車の中古市に売りに、出されているかもしれない」と教えられる。
翌朝、息子のブルーノを伴いバイオッコの友人数人と、
中古市で盗まれた自転車を探すのだ。
もしかして分解されて売られているかもしれないと、
自転車の部品まで探し調べるのだが見つけられない。


そこで、偶然泥棒の若い男を見かけるが、自転車で走り去る。
その男と話していたホームレスの老人に「あの男は誰だ。どこに住んでいる!」と、激しく迫るのだが、又しても逃げられてしまう。
イライラしたアントニオはブルーノにあたってしまい、頬をぶってしまうのだ。
それでも、探し続ける2人は自転車を盗んだ若い男を見つける。
「オマエが盗んだのだろう」と問い詰めるのだが、「俺じゃない、証拠は!」と
言い争っていると、若い男の住む、貧民街の住人達に囲まれて返って
やり込められる。
それを、見た息子ブルーノの機転で警察官が来るが、
盗まれた自転車があるはずもなく、
「証拠が無いのでは・・・」と警察官もどうにも出来ない。


当ても無くトボトボと歩き続ける2人はサッカー競技場の前に来る。
そこにはサッカーの観衆が乗ってきた自転車が溢れるほど駐輪されていた。
その、裏通りにポツンと置かれた自転車が一台。
アントニオは息子ブルーノにお金を渡し「電車で先に家に帰っていろ」と
言いわたす。
そうして、裏通りに置かれた自転車を盗み走り出すのだが、
「泥棒だー!」と叫ぶ持ち主の声を聞き、近くにいた人達に追われて、
すぐに捕まってしまう。
数人の男達に捕まり、警察に突き出されそうになるが、電車に乗り遅れた
ブルーノが心配そうにアトニオに縋り「パパ、パパ」と泣き声で繰り返す。
それを見た自転車の持ち主は、ブルーノの涙に絆(ほだ)され、
捕まえる男達に「もういい、放してやれ」と温情に救われる。
悔しさに男泣きするアントニオ・・・父の涙を見たブルーノはアントニオの手を握る。
手をつなぎ、夕暮れの群衆の中に消えて行く親子の後ろ姿・・・
見終わった後、なんともやるせない気持ちになる映画だ。


さて「自転車泥棒」に出てくる、ご馳走は「カルツォーネ」だ。
カルツォーネは「破れたズボン」と言う意味なのだが。
なんでカルツォーネの名が付いたのか?ご存知の方は、ご教授願いたい。


アントニオがブルーノの頬をぶった後に、「ハラ減ったか?」と聞くと、
ブルーノは、「ウン!」と答え、2人でリストランテに入る。注文するのが、「ピザと白ワイン」である。
カメリエーレに「当店ではピザはありません」と言われ、「カルツォーネ」を注文する。
ローマだからなのかな?
字幕では今風の「ピッツア」ではなく、「ピザ」と書かれている。
61年前だと、やはり「ピザ」だべな。


若い頃、道銀ビルの地下にあった、「ユック」で食べた「ピザパイ」は実に美味かったな。
ピザパイって言い方が、レトロで昭和な感じが実にいいね。
で、そのピザパイを2つ折りにして、焼き上げたものがカルツォーネだ。
カルツォーネが出来るのに、なんでピザが出来ないんだ。ローマだから?


レストランの先客に、セレブな家族連れが隣の席にいて、
ブルーノと同じくらいの、生意気そうな子供がカルツォーネを食べている。
両手に持ち、口からチーズを餅のように「ビヨーン」と伸ばして食べている。
ブルーノもそれを見て真似をし、「ビヨーン」と食べるのだ。
実に楽しそうに、美味しそうに食べるんだよね。
自転車盗まれて、そんな事やってていいのか、
と観ているこっちが気を揉んでしまう。
アントニオは「ママに内緒だぞ!」と、ブルーノに白ワインを飲ませるのだ。
白ワインはキャラフで、グラスはデュラレックスのようなもので飲んでいた。
アントニオがブルーノの頬をぶって気まずい2人だったが、
やっぱり仲良くなるには、一緒に飯食う事だね。


あ?なんだか、これ書いていたら、カルツォーネが食いたくなってきた。
今晩は、アントニオとブルーノを思い出してカルツォーネを作って食してみるか
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