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9月4日(土)5日(日)「札幌オーガニックフェスタ 2010」が札幌青年会議所(札幌JC)の
「札幌の近未来創造委員会」(東岳夫委員長)などでつくる実行委員会の主催で行われた。
札幌や岩見沢、千歳などで収穫された野菜の産直市場を開催した。
有機野菜の生産、流通を手がける札幌在住の笛木康雄さん、
「奇跡のリンゴ」自然栽培で知られる木村秋則さんと野菜ソムリエで女優の大桃美代子さんの、
食と安全をテーマにした講演も行われた。

両日共に大勢のお客様が来場し、有機野菜を買い求める姿は食に対する「安全 安心」への感心の高さを
うかがわせた。
さてオーガニック、有機農業とはなんでしょう?
簡単にいうと、科学の発達にともない農業のやり方も大きく変り、生産性向上のため効率性が重視され、
農薬や化学肥料などの化学物質が大量に使われた。
それにより、地球規模の環境汚染や破壊、健康障害などの問題が生じ始めた。
その反省に立ち農薬や化学肥料に頼らない、ひいては自然環境保護を目指すのが有機農業です。


人類が農業を始めて、いつから肥料を用いたのだろう?
人畜の糞尿や残飯、刈り取った植物などを堆肥にして土壌に施用すると、農作物の生育がよくなるのは
農作業を、日々繰り返す中で経験的に分かっていたでしょう。
日本では鎌倉時代に、すでに糞尿を肥料として田畑に撒いていた。
おかげで米が増産され、そのために関東武士は力をつけ、鎌倉幕府の開設へとつながったといわれている。
米がいかに日本の国力の元になってきたかである。


1802年ドイツの探検家フンボルトは、スペイン領の南米ペルーにある「グアノ」(海鳥の糞の堆積物)を
国へ持って帰り分析した結果、肥料成分の素晴らしい効果を発見した。
ペルーがスペインから独立した後の1840年頃から、グアノはヨーロッパに肥料として輸出され始める。
その後40年間欧米に輸出されるが、欧米の農民達は肥料として使ったグアノの効果に驚いた。
それまで使っていた家畜糞の肥効の10倍近くもあったというのだ。

1840年に「化学農業の父」ドイツの化学者ユスタフ・フォン・リービッヒは、焼いた植物の灰から、
植物を養っているのは「窒素・リン・カリウム」だと発見する。 
さらに焼いた灰の中の、リン酸の量から「リン」が植物の生育に必要な主要物質であると考えた。
これまで、土壌には肥沃でたくさんの腐植質が含まれ、その中のさまざまな物質が植物の主要な栄養源であると
信じられていた。
しかしリービッヒが植物は無機栄養素で生育する「無機栄養素説」を提唱。
これによって農業は「化学肥料」の時代へと移行してゆく。
1888年にはアメリカのフロリダでリン鉱石、チリでチッソ肥料になるチリ硝石が発見され。
その後には空中窒素工業生産が可能になり、化学肥料が大量生産されるようになる。
あれほど用いられたグアノの需要は減少してゆく。
しかし、グアノは肥料として始めて世界貿易された意義のある肥料であったといえる。

日本でも、昭和の始めにはすでに化学肥料は有機質肥料を上回る使用量になっている。
太平洋戦後には肥料工場が早くも復興され、化学肥料の使用効果は戦後日本の食糧不足の解決に大いに役立った。

僕の生まれ故郷、砂川市豊沼にも、三井東圧の肥料工場があった。
昭和20年代の事で、多くの人達が肥料工場に勤務していた。豊沼の町全体が肥料工場に働く人達と、
その家族の社宅だった。
朝には工場に出勤する大勢の人達が、自転車に乗り先を争うように道路を走っていた。
おじいちゃんおばあちゃんがいて、お父さんお母さん、お兄さんお姉さんがいて、
元気な子供達に赤ちゃんがいた。
みんな快活で、明るい笑顔と活気にあふれる、古き佳き時代だった。
社宅の前庭と裏庭には、どの家にも畑があり野菜や果物を栽培していた。
ナス・キュウリ・トマト・ナシ・ブドウ・グスベリなどが実っていた。
食べると野菜は美味しかったけど、ナシはガリガリでかたく、ブドウもグスベリも酸っぱかったな。


殺虫剤の「DDT」はDichloro-diphenyl-trichloroetane(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の略で、
1874年にドイツの化学者が始めて合成に成功した。
以来長期間放置されていた化合物であったのだが。

1939年にスイスのパウル・ミューラー氏がその殺虫効果を発見し、5年後にはアメリカで大量生産されている。
第2次世界大戦中に熱帯戦線で米軍を悩ませていた、伝染病を媒体するマラリア蚊や、
シラミの駆除目的に用いた。
その効果はバツグンで、これによってDDTは化学薬品会社に大いなる「戦時利益」をもたらした。

DDTがこれほどまでに普及し使用されたのは、安価で大量生産が出来て、少量で多くの害虫に即効性があり、
残効性に優れているからだ。人や家畜にも「無害」で(と思われた)、夢のような殺虫剤であった。
戦後のニュース映像で、米軍兵が日本の子供達に「有無!」を言わさず、
頭から真っ白になるほどDDTの粉末を浴びせていた。
その結果戦争で町が破壊され衛生状態の悪くなった敗戦国日本は、蚊やシラミなどによるチフス、
マラリア、黄熱病などの伝染病が蔓延しなかったのは、DDTのおかげと言える。
このDDTの功績によりミューラー氏は、1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
因みにスリランカでは‘48年から’62年までDDTの定期散布を行い、
それまで250万人のマラリア患者の数を31人までに激減させたが。
DDT禁止後は5年足らずで、マラリア患者は年間250万人に逆戻りしている。
DDTの殺虫効果を証明する事にもなった。


化学肥料による人体や環境への害を最初に気付いた人たちの1人が、
「有機農法運動の創始者」イギリスのアルバート・ハワード卿だ。
1910年代、アルバート卿は英領インドの官吏(かんり)で、プサ地区統治府の大英帝国化学植物学者で、
政府提供の土地と金で植物の栽培や病虫害の観察実験を気兼ねなく自由に行う事が出来た。
30年間に及ぶインドでの観察実験によって、アルバート卿は「土壌でもっとも重要な要因は、
動物と植物の老廃物から作られた新鮮な腐植質を定期的に供給する事であり、
土壌肥沃度の維持こそが健康の根本である」ことを発見した。
「このような処理を施された作物は、その土地に蔓延しているあらゆる病虫害に抵抗力をもっており、
またこの抵抗力はそのように栽培された作物で飼育された家畜にも転嫁される」と言い。
アルバート卿は有機栽培による飼料で育てられた家畜が病気に対する抵抗力をもつことを、
自分の牛で例証してみせた。
彼の牛たちは口蹄病の流行中でさえ、近所の感染した牛と鼻をこすり合わせていても全然病気にならなかったのだ。
いかなる感染も発生しなかったのだ。
アルバート卿は「合成化学肥料を使うと植物の葉の中に不完全な蛋白質が生じ、
こうして結局は植物、動物、人間にみられる多くの病気が生じる」と言っている。
しかしアルバート卿が去ったインドでは、化学肥料の使用量は‘66年~67年の110万tから
‘78年~79年の5000万tに上昇している。


戦後に民間の農薬殺虫剤としてDDTは大普及する。
アメリカでは殺虫防虫のために農地、河川、湖とところかまわずに撒き散らされ流された。
その絶大な効果によりDDTの需要は伸び、生産量は30年間で、なんと300万tに達している。
それは、地球の表面がうっすらと白くなる程の量である。というからその使用量が分かろう。

1962年レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」が出版された。
それには、DDTなどの化学薬品による、土壌、草花、樹木や家畜、野生動物魚類そして人間への
汚染被害が著されていた。
「沈黙の春」はベストセラーとなり、その反響は大きく始めはDDTの悪影響を認めようとはしなかったアメリカ
政府は、’68年~‘70年代にかけ公害防止法案の策定を行うに至り、DDTの大量散布もよやく取りやめとなる。

日本ではDDTの使用禁止は以外と早く’69年には稲作への使用禁止、’70年には販売禁止になっている。
化学肥料、除草剤、防虫剤などの汚染された物質は土壌へと染み込み、
地下水を汚染する。雨によって川に流れ出し海を汚染する。
人の口にする水、土壌、野菜、果物、穀類、魚、食肉、卵、乳製品すべての食べ物が化学薬品の毒素に
冒されている。それらがすべての病気のもとになっている。

料理の一皿に髪の毛、虫など異物が混入していたら、お客様から大変なお叱りを受ける。
しかし、汚染された食材を使った料理は分からない。
それらは、目には見えない、無味無臭で音も出ないし触れても感じないのだ。
だが、少しずつ確実に人体に忍び込み蓄積され、病気を引き起こす。

フランスの科学者アレキシス・カレル博士は名著「人間―この未知なるもの」の中で
「土壌が人間生活全般の基礎なのであるから、私たちが近代農業経済学のやり方によって破壊させてきた土壌に
再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。
生き物はすべて土壌の肥沃度(地力)に応じて健康か不健康になる」と警告している。
また「文明が進歩すればするほど、文明は自然食から遠ざかる」とも言っている。
病気にならない予防医学は土壌から始まっている。

参考図書
「沈黙の春」レイチェル・カーソン
「土壌の神秘」ピーター・トムプキンズ/クリストファー・バード
「複合汚染」有吉佐和子
「ほんとの野菜は緑が薄い」河野秀朗
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