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さて46年前の事で記憶に間違いがあればお許しいただきたい。
札幌駅前通りの飲食店に「パーラー西林(にしりん)」「雪印パーラー」「パーラー石田屋」「パーラーフジヰ」と、パーラーが4店あった。
各店1階ケーキ販売、2、3階がレストランの仕様だった。

僕が勤めていた、パーラー石田屋は1階ケーキ販売、その奥に喫茶、更に奥にはお菓子を作る工場があり、2階中華料理、3階が洋食になっていた。
お菓子の職人さん達(今ならパティシエだね)とは寮も一緒だったので、工場へ用事のある振りをして行っては、お菓子をご馳走になるのが楽しみだったな。
和菓子も作っていたので、最中のカワが破れて、売り物にならなくなったのをご馳走になった。
アンコの甘さがうれしかったな。

朝は出勤前のサラリーマン、BG(ビジネスガールの略。今はOLオフィスレディ)のお客様で、喫茶が忙しかった。それも日曜日以外は、喫茶は毎朝満席だった。
今だとコーヒーはブラックでサービスされ、テーブルにセットされた、ミルクと砂糖を自分の好みで愉しむが。
その当時は、ミルクも砂糖もコーヒーに入れて、お客様にサービスしていた。


それしにしても、パーラーの名前が懐かしいな。
その当時は、「パーラー○○」とか、「グリル○○」が多かった。
英和辞典で“Parlor”を引くと「居間」「茶の間」の意とある。
“くつろげる処”みたいな意味合いでしょうか。
今は「パーラー太陽」のように、パチンコ屋さんの名前になってしまった。
昔を思うとちょっと淋しい気もいたしますね。そうそう、あの頃駅前通りには、路面電車が走っていたな。


その46年前、料理人を志した昭和40年の事だ。
「パーラー西林」に中学校の同級生だった、斉藤が勤めていたので「オッ!」と尋ねて行った。
(その日西林は営業していなかったようだが。駅前のパーラーで定休日なんかあったかな?・・・)斉藤はソフトバーテン志望だったので喫茶にいた。
生クリームをホイップする時に「腕が疲れる!」と嘆いていた。
その頃は、ハンドミキサーやキッチンエイドも普及していなかったからな。

調理場にお邪魔すると、その頃西林では、なんとまだ「石炭ストーブ」を使っていた。
石炭ストーブは話には聞いていたので知っていたが。
パーラー石田屋では、ガスストーブだったので、石炭ストーブを拝見した時には、「ビックリ!」こいたな。

斉藤の先輩コックさんが、「チャーハン食べるか?」と言ってくれ、石炭ストーブで“チャチャ”と作ってくれた。
「うまかったなぁ!」そのフライパンをかえす(・・・)軽快な手さばきに「自分も早くああなりたい!」と羨望の眼差しで見入った。
でも休日なのに、石炭ストーブの火は落とさないのだなと思った。
名前も知らない先輩だったけど、今どうしているのかな。
自分は15才だったから、3才上の18才だとしたら、今年で65才か・・・。
あの時のチャーハンありがとうございました。

以来、この目で実際に石炭ストーブを見たのは、あの時が最初で最後であった。
だけど、今の料理人は石炭ストーブで調理出来ないべ!


現在残っているのは、「西林」と「雪印パーラー」になってしまった。
「パーラーフジヰ」は、現在南3条西3丁目で「ワインショップ フジヰ」と、地下街ポールタウンの「フジヰ 食料品店」になり、藤井敏彦社長が経営している。
藤井社長にお話を伺うと、パーラーフジヰは、祖父が営業していたそうで、1階がフルーツショップで2,3階がレストランであった。
当時(昭和40年頃)子供だった藤井社長は、店舗の4階に家族と共に居住していたそうである。

子供の頃、従兄に雪印パーラーでご馳走になった時の事だ。“ポークチャップ”を注文したのだが。
オーダーを通すボーイさんが、調理場に「ハイ!ポークチャップスリー」と叫んだ。
当時砂川に住んでいて、食堂やグリルでも、調理場に注文通す時は「ラーメン1丁!」とか「オムライスひとつ!」だったので。

「ポークチャップスリー」の言い方に、従兄弟達3人で「ヘェー札幌の店は、やっぱりハイカラだなぁ!」と感心したものだ。
それにナイフ・フォークを使って食べるなんて、セレブな外国人になった気分だった。
ポークチャップの皿にはポテトフライ、キャロットグラッセ、ホウレン草のバターソテーが添えられ。
(なつかしいな)濃厚なデミソースがかけられていた。
デミソースをからめた、厚切りのポークチャップを「パク!」と頬張ると肉の旨味が「ジュワー!」と溢れ出て。アツアツのポテトフライが、口の中で「サクッ!」とはじけ!バターとガーリックが香るホウレン草。
白い湯気の立ち昇るライスの香り!これぞ洋食だ!子供の僕には、あの美味しさは始めての味わいだった。
雪印パーラーで、またポークチャップ食べたいな。(メニューにあるかな?)
あの時は従兄弟にご馳走になったから、今度はご馳走してあげたいな。
そんな従兄弟も今年で74歳になる。「ポークチャップスリー」か、なんかいいなぁ!


パーラーで忘れていけないのが、今で言う「スイーツ」だ。
当時のスイーツは、ケーキなどバタークリームが主流で、お菓子全般甘さは強かった。
近頃のスイーツは甘さ控えめで、バタークリームのべた付く、重い甘さは敬遠される傾向にある。
あの当時は、甘さへの欲求がまだまだ強く、バタークリームの甘さが美味しく感じられた。
  
当時は、食品サンプルがショーケースに飾られていて、食べる前に見た目で楽しめた。
子供の頃は、フルーツパフェやチョコレートパフェなどのパフェ類が魅力だったな。
アイスクリームや飾り切りされフルーツの美しさに憧れたな。

しかし、最も憧れたのは「プリンアラモード」だ。
パフェ類のグラスは、チューリップ型の縦長だが、プリンアラモードのグラスだけは、横長の舟形であった。
プリンを中心にウサギ型に飾られたリンゴ、バナナにオレンジなどのフルーツ。
生クリームの上にチョンと乗せられた、真っ赤なチェリーが「美味しいよ!」と誘う。
なんという甘い誘惑なのだ・・・。
当時のパーラーには、多種多様なスイーツメニュー全般が揃っていたな。
1階にはケーキや和菓子のショップがあるし。
喫茶では、パフェやホットケーキ、それにお汁粉まで食べられたんだ。

その当時は料理ジャンルの区別は無く、フレンチもイタリアンも「洋食」と言っていた。
欧米の料理を、日本人の味覚に合うようにアレンジした洋食は、ご飯にもピッタリだ。
ハンバーグに、ナポリタン、グラタンにコロッケ。
皿から溢れんばかりに盛られたトンカツとコールスローなんて最高だね。

数年前のニューヨークタイムズに、「yoshoku」の特集記事が掲載され、「洋食のルーツは欧米にあるが 材料や調理の手順を変え 時には無視する事で 驚くべき美味しさを生んでいる」と、洋食の美味しさを絶賛する。
カラー写真でオムライス、クリームコロッケ、グラタンを紹介している。
「たいめいけん」の茂出木浩司シェフが、大きな木ベラを持ち、ポーズをとる写真も掲載されている。
NHKテレビで、イタリア人の男性が、スーパーでナポリタンのパック詰めを見て「イタリアに、こういう料理はないね!?」と言って驚いていた。
欧米料理が日本で消化され、美味しさの変貌を遂げた「洋食」は、まさしくパーラーを象徴する料理だった。


当時のパーラーは、食事はもちろんコーヒー1杯、ケーキ1個、ラーメン1杯から宴会も出来た。
仕事の打ち合わせに、彼と彼女のデートにも、友人との待ち合わせにと、お客様が求めるもの、すべてがパーラーにはあったのだ。
パーラー各店ともに、大勢のお客様で繁盛し、たくさんの従業員が働いていた。
人々はみんな快活で明るく、貧しくはあったが、希望にあふれていた。
羨ましい程に佳き時代の懐かしい思い出でした。
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