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一体全体「マニー・パッキャオ」の強さは、どこから湧き出てくるものなのか?
作るのか、作ったのか、作られるのか?驚異的な強さである。

現在はプロボクシングWBOウエルター級チャンピオンだ。
口ヒゲ、アゴヒゲを生やした顔を見ると、「田舎臭い父っちゃん坊や」である。
(確かに貧困農家の出身ではあるが!)

なんといっても、パッキャオのスゴサは、本当に強い相手、強豪ボクサーと対戦するのである。
その当時に、自分よりは強いといわている、相手と対戦して「勝利」するのだ。
「噛ませ犬」的な、実力のない対戦相手を倒して名を上げよう、などと姑息な手段には及ばない。
次々と、並み居る強豪を打ち倒すファイト振りに、80年代一世を風靡したゲームをもじって、
「パックマン」と呼ばれるようになった。

パッキャオは、フィリピン国籍で '78年生まれの、現在32歳である。
身長169cmで16歳のときに、フライ級でプロデビューしている。
フライ級の体重リミットは50.8kgで、現在は8階級上のウエルター級で66.68kgだから、フライ級との体重差は15.88kgである。体重50kgの男性が70kg近くになったら、単なる「デブ」だべ!パッキャオの場合、体重は増しても体躯はそんなに変わっていないのがスゲーところだ。
プロボクシングで、これほど階級を上げて、ファイトを続けている選手は、パッキャオだけである。

長谷川穂積選手がバンタム級(53.52㎏)で5連続TKOを含む、10度の連続防衛記録を打ち立てた。
11度目の防衛戦で「フェルナンド・モンティエル」に4RKOで敗れて、その減量苦から、2階級上げてフェザー級(57.15kg)に転向した。
フェザー級でチャンピオンになったが、初防衛戦では、メキシコの挑戦者“ジョニゴン”こと、「ジョニー・ゴンザレス」に、再び悪夢の4RKO負け。
試合後のゴンザレス選手は、「(長谷川選手の)パンチ力がそんなにないので、前に出られた・・・」とコメントしていた。

階級を上げると、こういう事になるのかと、妙に納得したものだ。
バンタム級でのKOパンチも、フェザー級では、そのパンチ力が通用しなかったのだ。 
しかし、パッキャオは違うのだ。階級を上げて、スピードが鈍るとか、パンチ力が通じない、などという事が微塵もない。
よりスピードとパワーが増しているのだ。
「オスカー・デ・ラ・ホーヤ」、「アントニオ・マルガリート」戦などは、体格が自分より2周りも大きな対戦相手を、そのスピードとパワーで圧倒していく。
ラウンドが進む毎に、小さなパッキャオの方が大きく見えてくるから不思議だ。
フライ級、スーパーバンタム級、’05にはスーパーフェザー級と各階級の王座を獲得、アジア人としては初の3階級制覇を達成した・・・

・・・が、アジア人初の3階級制覇には悲話がある。
始めて憧れたボクサーは「ファイティング原田」選手だった。‘62年にフライ級、'65年にバンタム級のチャンピオンになり、アジア人初の3階級制覇を目指し、'69年にオーストラリアのフェザー級チャンピオン「ジョニー・ファメション」の王座に挑戦する。
試合は敵地シドニーで行われた。原田選手は戦前の不利予想を覆し、2R.4R,14R(当時は世界戦は15R)にダウンを奪い勝利は目前であった。
特に14Rのダウンでは、チャンピオンのファメションは失神状態だ。

「ワントゥスリー・・・」と10カウントを聞くはずであった!が、ここでとんでもない、前代見ものの事件が起きる。

レフェリーを務めていたウィリー・ペップが事もあろうに、カウントを途中で止めると、なんとダウンしたファメションを立ち上がらせ、フラフラ状態を支えて時間稼ぎをするのだ。(諸君こんなの許されるか!)
15Rは原田選手の攻撃を、ファメションが必死に逃げ切り、勝敗は判定に・・・。
が、ここでもレフェリーのペップは暴挙に出る。
判定が出る前に両者の腕を上げて「引き分け」の裁定を下す。
チャンピオンファメションの引き分け防衛である。

この試合は「英国式」の裁定で、レフェリー1人が採点し、判定を下すという規定であった。
しかもその採点スコアの結果は、事もあろうに原田選手の「判定負け」である。
この判定には、さすがに地元オーストラリアの観衆も大ブーイングだ。

しかしだ諸君!この地元贔屓の露骨な判定にも、原田選手の態度は立派だった。
不満そうな顔ひとつせず、そればかりか、試合後はファメションの健闘を称える、スポーツマン・ライクであったのだ。
逆に原田選手には、会場の観衆から惜しみない称賛の拍手が贈られたのだよ。

当時20歳だった自分は、我がボクシングアイドルの理不尽な試合結果をニュースで知り、強い憤りを感じた。
『ファイティング原田選手の、アジア人初の3階級制覇は「幻」と消えたのだ。』
と同時に、世の中の理不尽なことに対する、自分の受け止め方や、取るべき態度など、この試合からは多くの事を学ばせてもらった。

パッキャオのアジア人初の3階級制覇の以前に、我がファイティング原田選手が成し遂げていた・・・はずだったのだ。
 翌年に、両者は東京で再戦するが、ファメションが「チャンピオンの意地と誇り」を賭けて戦い14RKO勝利。
原田選手はいいところ無く敗れ去った。
この試合をテレビ観戦していたが、原田選手がダウンしロープから 転げ落ちそうになる姿を見て「もういいんだ、原田選手もういいんだよ!・・・」と涙したことを憶えている。


この思いは、'81年3月8日に具志堅用高選手が14度目の防衛戦で、ペドロ・フローレスに、12RKOされた時にも同じく感じたものだ。

さらに裏話がある。レフェリーを務めたウイリー・ペップ(米)も ‘40~50年代に活躍したプロボクサーで、’42年にはフェザー級チャンピオンになっている。
ペップが‘50年に対戦したレイ・ファメション選手は、ジョニー・ファメションの叔父である。


 ファイティング原田さんとは、'90年の6月14日中島スポーツセンターで行われた試合で会った。
当時は日本プロボクシング協会の会長で、試合を視察に見えられたのだ。
「アッ!ファイティング原田さんだ」と、駆け寄り握手を求めたが、素通りされた。
裏切られたような気持ちになり、チョットガッカリしたのを憶えている。

しかしだ諸君!ここでの私の態度は立派だった。
残念そうな顔ひとつせず、いじけることもなく、歩き去る原田会長の後姿を見送り、実にオジさんライクだったのだ!


それにしても、ボクサーの鍛え抜かれた肉体を見ると、どうにも、自分のたるんだ体が情けなや。
若い時の様に腹筋が割れた体をもう一度取り戻したいのだ。
目指すは、総合格闘技団体「UFC」 のウエルター級チャンピオン「G・S・P」こと「ジョルジュ・サン・ピエール」の肉体美だ。
UFCで8連続防衛中の、スーパーチャンピオンである。完璧なディフェンス、攻撃力の強さ、立ち技寝技共に優れたファイトスタイルは、今やウエルター級では敵なしの強さである。
G・S・Pのシャープなバディーを、始めて見た時の衝撃は忘れられないな。
「嗚呼!こんなバディーになりたーい!」と心底思ったものだ。

その強さ、理知的でハンサムな顔立ち、「男のいいとこ全部持ち」の出来過ぎだべ!とヤッカミたくなる奴だ。
リング入場の際は空手着を着用し、日の丸の「ハチマキ」〆て、左胸に「柔術」のタトゥー、大の親日家である。実際にファイトを見たい選手の1人である。

今年の4月に、G・S・Pの地元カナダで行われた防衛戦は、総合格闘技で5年間不敗の「ジェイク・シールズ」を対戦相手に迎えた。
結果はG・S・Pの判定勝ちに終わったが、実力者同士のファイトは、実に見応えのある試合だった。
しかし、最近のG・S・Pは、「タイトルを防衛する」といった戦い振りで、負けない、危険は冒さないファイトスタイルだ。
対戦相手に勇猛果敢に挑んでいった、以前のファイトを知る者としては、チット淋しい気もする。


よーし!憧れの「G・S・Pバディー」を目指し、運動不足の鈍った体を鍛え直すぞ!
運動らしい事をしたのは、20年ほど前に、司厨士協会青年部で、鹿野さんや、全日空ホテルの所司さん達と企画した「札幌支部ソフトボール大会」以来だ。
「あの頃、僕は若かった!」
まずは心肺能力アップの基本、ランニングからだ。
どこか走るのに、いいところはないかと探した。車に邪魔されず、排気ガスも無い。
赤信号でストップせず、自然溢れるところ。
真駒内公園だ!屋外競技場周辺のランニングコースを走ろう。
ソフトボール大会以来のジャージを、タンスから引っ張り出して着込む。
体型はそんなに変わっていないので、20年前でも着られたぞ。

真駒内公園の駐車場から、17段の階段を上りランニングコースに出る。
まず入念に準備体操をする。アキレス腱を切って、寝たきりになったら余計に体が鈍る。
足首や膝の関節を回すが「カクカク」と膝が笑う。アキレス腱を伸ばし入念に体をほぐす。
背を伸ばすと「ボキボキ」骨が鳴る。
5月の中旬、晴天だ!舗装されたランニングコースに「スタート」のラインが引かれている。
そこから「よーしスタートだ!」勢いよく走り出す。
まずは快調なランニングだ、「オーッ!走れる。まんず軽いもんだべ」と意気込んだ。

道路に500mの表示が、しかし、それを過ぎると急にペースダウンし始めた。
走れない、足が上がらない、前に進まない、どうしようもない!足踏み状態だ。
「そんなはずはないさ!」もっと走れるはずだ。と思っても、体は正直だ。
20年もの運動不足が、そう簡単に走れるわけがない。考えを改めた。
早く走ろうとしているのではない、体力を付けるのが目的だ。
とにかく時間はかかってもいいからなんとか走ろう。500mから先は歩き始めた。
たった500mで息が上がるとは、心肺能力がかなり低下している。そろそろと小走りで走りだす。
とにかく小走りでもいいから走ろう。
走った、とにかく走ったつもりだった。

日差しが眩しい。途中に標識があり、こう書かれている。
クイズです!『園内の植物は とってはいけません とっていいのは○○だけ』。
○○(漢字2文字)は何でしょう。(答えは次頁に)

20~30分は経ったか?もう 5~6kmは走ったべ。道路に表示が見えてきた。
「1k」「エーッ!1km?」ケイタイを取り出し時間を計った。
10:55に出発し11:17分だから、1km走るのに22分かかかっている。
「もう走れねぇ!」それから、ゴールまでは歩いた。
結局3kmのコースを1時間弱かかってしまった。「今日は初日だ。致し方あるまい!」と、自分自身を慰めた。 

さあ、次の日も走りに励んだ。準備体操後走り出した、調子よくスイスイと走り、3kmを40分程で完走できた。
しかし、後続のランナーには全てに追い抜かれた。
若い人は仕方ないにしろ、自分より年配の方達にも、軽々と追い越される。
自分が追い越したのは、散歩で歩いていた、オバさん1人だけである。(情けなや!)

ランナーはウェアも“ビシッ”とキメて走っている。
20年前のジャージを引っ張り出して着込んだ、俄かランナーとは、クヤシイけど違うなぁ。
マラソン大会が、近づく頃には、出場ランナーなのか、本格的な走りのトレーニング中の人もいる。

舗装されたコースを走っていて思い出した。
「モハメド・アリ」が徴兵を拒否し、チャンピオンの座を剥奪されたが、‘71年に3年7ヶ月振りにカンバックした。当時のチャンピオンの「ジョー・フレージャー」に挑戦した時だ。
フレージャーがランニングしているのを、テレビで見たアリは「バカな奴だ、コンクリートの上を走っている」と呟いた。
舗装された硬い道路でのランニングは、脚に負担がかかり、故障の原因となるのだ。
それを知っていたアリは、競馬場を借りて走っていたのだ。
しかし、その甲斐も無く、アリはフレージャーに判定負け。世界中のアリファンを、大いに落胆させたものだ。


その事を思い出し、舗装されたコースの脇に、獣道みたいに芝がハゲたところがある。そこを走る事にした。
ランニングを終えて、意気揚々と帰宅した。

次の日も「さぁー走るぞ!」と、張り切り走り出したが、二日間の走りで太ももが張って走れない。
脚が上がらないのだ。「ガックリ!」して歩きだした。昨日の若さ、走りは幻だったのか。
それでも、めげずに毎日毎日走りを続けた。そのうち、段々と走りに慣れてきて3kmを20分程で完走出来るようになった。

ゴール付近のベンチに、学生らしい若者が4,5人、その中に1人が駆け込んで来て「14分7秒!」と叫んだ。
スゲー記録だ。3kmを14分で走れねぇ!でも、挑戦しよう!やる気が出てきたぞ!
だが「好事魔多し」大きな障害が立ちはだかった。「白樺花粉症」である。
ここ数年はそれ程でもなかったが、今年は花粉の飛散が多いのだ。
クシャミ、鼻水、鼻詰まり、目の痒みと異物感、症状がヒドイ!
なんと、真駒内公園には白樺の木がビッシリある。花粉の付いたヒダがコース脇にいっぱい落ちている。
これだば、頼まなくても花粉症になるべ!これにはマイッタ。真駒内公園での走りは休止にした。
その間は家で「スクワット」「腕立て伏せ」などで筋肉量の低下を防ぐ。

でも走りたい、そうだ近くの白川の果樹園付近には白樺は少ない、そこで走ろう。早速白川で走り始めた。車道の脇を走るが車が通るので、走りづらい、山に木々や笹薮が茂る。毛虫もいるし…。

次の日も白川で走った。「暑い!」でも走った。
その時「アッ!」と気付いた。
そういえば、昨日の道新朝刊に「南区藤野、石山地区に熊出没」の記事を思い出した。
「エー、熊出没の真っ只中で走っているのか!」急に怖くなってきた。あの笹薮の黒い蔭は熊か?
エイリアンに追われる、シガニー・ウイーバー状態だ。
走りの速度を早め、早々に車に乗り込み、梅村果樹園で苺1パック買って帰宅した。


だって山岡荘八著「徳川家康」で、家康の生母「於(お)大(だい)の方」が「用心は先にするもの」と言ってたべ。何かあってから用心しても手遅れなんだよ。白川でのランニングは熊出没のため中止だ!
「走りたい」だけなのに、「白樺花粉」に「熊」と来たもんだ。
歩んできた人生の如く、なにか事ある毎に、障害が立ちはだかる。人生を反省したほうがいい。
だが自分ではどうしようもない、室内でのトレーニングに励み、ひたすら時期を待った。


6月の中旬、晴天だ。2週間振りに真駒内公園に出向いた。コース脇の雑草も、随分と伸びている。
「よし!走ろう」と走りだしたが1、2歩で、いつも右膝がガクっと崩れ落ちそうになる。
「オレは、男だ!」と無理して走るが、久しぶりだから走れない。
ランニング後に、帰宅したら、太ももに痛みが走る。ケツの筋肉も張って痛い、脹脛が攣る。
なんのための走りだ。

そんな時、道新朝刊に、札幌スポーツクリニック理事長 山村俊昭医師の「中高年 運動を楽しむには」が掲載されていた。
『歳をとると骨や筋肉をつなぐ腱は損傷しやすい。弱っているところに、無理をして運動すると腰痛や股関節痛、膝関節症などの、中高年に多い疾患が出てくる。準備運動、運動後の整理体操を行う。
運動後は筋肉が張って血液が滞いるので、「交換浴」がよい。
40度程のお湯と水道水で、張っている患部を交互に浸し、血液の巡りをよくすると疲れがとれる。』とある。
これを参考に、無理は止めて、交換浴もやり始めた。

3kmも無理して走るのはヤメだ!苦しくても、毎日少しずつ走り、距離を延ばそう。
苦しいといえば、輪島功一さんが、Jミドル級のチャンピオンだった時、3度目の防衛戦で、ミゲール・デ・オリベイラ(ブラジル)と対戦した。
微妙な判定で引き分けであった。
6度目の防衛戦で再び対戦するが、オリベイラは「この前の試合は、私が勝っていた。今回も云々・・・」と発言。
その言葉を耳にして輪島は「チャンピオンになることが、どんなに苦しい事か思い知らせてやる!」とリングに上がる。
見事オリベイラに15R判定勝ち。
試合後、控え室でオリベイラは男涙を落とす。
その背中には、チャンピオン輪島に追い詰められ、背負ったロープの痕が赤く残っていた。
輪島功一のファイトは、見る者の気持ちを本当に熱くさせる。心から応援したくなるボクサーなのだ。


走るのなら、走りの目標を持とう。苦しい走りの、目標は大きい方がいい。
大きければ、大きいほどいいのだ。
「チャンピオンになろう!」「60歳過ぎて、バカを言うな!」とおっしゃいますか。
でも、ジョージ・フォアマンは45歳でチャンピオンに返り咲いた。

今年の5月には、バーナード・ホプキンスが46歳でLヘビー級のチャンピオンになり、最高齢記録を更新しているのだ。
これからは、年寄りの時代になるのだ!
よし!G・S・Pのような肉体美に造り上げて、チャンピオン マニー・パックマン・パッキャオに挑戦状を送ろう。
目標は定まった。「チャンピオンへの道」は、苦しいぞ!・・・
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